一昨年に続いて、今年も笠松町の鮎鮨街道のイベントに参加しました。昨日午後2時すぎ、前日の雨も晴れて定刻に町商工会館前をスタート。教育長の挨拶にはじまり、先導役に続きます。高嶋商店の前で、引き継ぎ式。江戸時代の古文書が高嶋家に残されているので、その文体で中学生が朗読。候(そうろう) 文も読めました。
高嶋家は、濃尾震災で倒壊はしたものの、火災に遭わなかったため、天保13年発行の「鮎鮨継立帳」が残りました。この古文書にのっとり、このイベントが12年前から行われています。そこには、岐阜の加納より、次の一宮に運ばれていくことが書かれているのです。愛知県一宮までは、笠松港から船にて送られます。高嶋家での引き継ぎ式は、当主の九代目の高嶋氏が迎えて下さいました。先年、そこで味噌を買ったことがあります。代々味噌醸造業を営みながら、庄屋も勤めておられました。庄屋の前で引き継ぎます。
鮎鮨街道とは、徳川時代、将軍のいる江戸まで、夜昼を問わず歩き続け、5日をかけて、江戸まで長良川の鮎をなれずしにして運んだ街道のこと。江戸までは東海道。46宿の中継地点がありました。5日後になれずしが丁度良い味加減になるよう作られました。今の寿司とは味が違い発酵されたものです。
12年前は岐阜からスタートしていたのですが、5年前に岐阜市は止めてしまったため、笠松独自で行われています。岐阜市の長良川畔からスタートし、名古屋街道に沿い、運ばれていました。名古屋街道は今もその時代ままの道幅。笠松港から木曽川を船で渡り、一宮の真清田神社に向かいます。次の中継地は、尾張の一宮です。
スタート地点 中継地点
高嶋家前で休憩 後方は9代当主 笠松港近くに到着
町長挨拶
なれずしには鮒ずしもありますね。
寿司は大好きなのですが、琵琶湖畔の鮒ずしは
どうしても合わなくて・・・。」
酒好きの亡父は大好物でしたけれど。
しかしこんな街道があったとは。鯖街道くらいまでしか知りません。
鮒鮨、鮎鮨は一度も食べたことがありません。
お寿司好きの私にも食べられないかしら。
(http://tougeoyaji.ciao.jp/osusikaidou1.htm)
だけにイベント化されているのは大変嬉しいです。
その年から続いているイベントに岐阜市は廃止してしまったのですか!残念ですね。
残されていた江戸時代の古文書にのっとり、再現されるようになったお祭りですか?!
祭りとしての歴史は浅いようですが、史実を後世に伝えるためにも、末永く続け残してもらいたいお祭りですね。
ふるまわれましたが、あまり美味しくない
です。当時は家康も美味と褒めるので
この鮨が江戸まで運ばれました。
甘酢味の寿司飯が出来たのは後の時代
です。
お父様がふなずしを食されたとは
味の分かる人でしたね。
父母は、鵜匠よりなれずしをプレゼント
されましたが、味は分からずじまいでした。
50年前のことでした。
これから知られると思います。
なれずしは、一昨年並ぶのが遅れてなくなりましたが
今年は早く着いて間に合いました。
でもあまり美味しくなかったです。
でも↑の風様のお父上は味のわかる方たった
ようです。
もう10年も前にお鮨街道を愛知県まで
走られているのですね。
岐阜市はお鮨街道と言っておますが、
笠松町は鮎鮨街道と言っております。
古文書には、お鮨街道と書いてあります。
毎年この時期にイベントがありますので
どうぞお出かけ下さい。
笠松港近くの終着点では、鮎雑炊と
なれずしがふるまわれます。
歩くのはまだるっこしいとは思いますが・・・
遠すぎますね。大垣から来ている人も
ありましたけれども。
町長や教育長も熱心ですので、続くと
思います。岐阜市はやめましたが・・・
何しろ赤字財政なので。この町も赤字
なのです。