つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

奈良だより 155

2018-09-02 | 国内旅行

  先日に続いて、また奈良の前田さまから一昨日写メールが届きました。昨日は名古屋方面に出かけましたので、アップが一日遅れましたが、紹介します。名古屋の記事は明日にします。以下はメール。 

 「本薬師寺は天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒のため発願して創建されたといわれています。『日本書紀』完成は天武没後の持統天皇~文武天皇の頃まで造営は続いたようですが、710年の平城京遷都に伴い、平城京内西の京に薬師寺が創建されたことにより、もとの伽藍は本薬師寺と呼ばれるようになったようです。本薬師寺は西ノ京薬師寺と同規模の二塔一金堂を持つ薬師寺式伽藍配置であったことが、発掘調査で明らかになっています。また、平城遷都後も本薬師寺は存続していたようです。現在の本薬師寺跡には金堂跡基壇に礎石が残っている他、東西の塔跡には礎石が残っています。更に、最近は本薬師寺跡周辺の休耕田に布袋葵が植栽され、観光客の人気を呼んでいます。畝傍山を背景にした写真の右端には、二上山が小さく写っています。」
 
  
 
布袋葵                          本薬師寺東塔基壇跡
 
 
本薬師寺から畝傍山を望む
コメント
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