隣町の笠松町歴史民俗資料館で開かれている「古図に見る笠松の地形」展が25日までと知り、急いで出かけました。これまで何度も足を運んでいるのですが、今回のテーマが地図。昨年秋に訪ねた稚内にゆかりのある伊能忠敬の書いた地図も見たかったのです。国土地理院から借りて展示。
伊能忠敬は、日本の全体図を3枚、詳しい図を畳一枚の大きさで200余枚、実測して描き残しています。当地方も今の地図とあまり変わらないほど正確に描かれています。関東大震災によって殆ど消失したのに、なぜか米国にその写しが残り、現存しています。なぜ米国に渡っていたのでしょうか。
当地方は木曽川の水害に度々遭遇し、被害も甚大でその関連の古文書が見られます。家の長屋門展示室にも似た古文書を展示しています。
宝暦の治水工事は、薩摩藩の甚大な犠牲により完成し、揖斐川近辺は被害は減りましたが、当地は却って被害が増えることになり、その関連の文書もあります。後にオランダのデレーケの指導による工事で被害はなくなりましたが・・・
伊能忠敬による日本全図の一枚
伊能忠敬が測量に使用した道具
葛飾北斎の描いた木曽路名所一覧(江戸から京都まで)
日食と月食の説明図もある明治時代の世界地図
この地区の庄屋の嘆願書 我が家の祖先の名もあります
伊能忠敬は、日本の全体図を3枚、詳しい図を畳一枚の大きさで200余枚、実測して描き残しています。当地方も今の地図とあまり変わらないほど正確に描かれています。関東大震災によって殆ど消失したのに、なぜか米国にその写しが残り、現存しています。なぜ米国に渡っていたのでしょうか。
当地方は木曽川の水害に度々遭遇し、被害も甚大でその関連の古文書が見られます。家の長屋門展示室にも似た古文書を展示しています。
宝暦の治水工事は、薩摩藩の甚大な犠牲により完成し、揖斐川近辺は被害は減りましたが、当地は却って被害が増えることになり、その関連の文書もあります。後にオランダのデレーケの指導による工事で被害はなくなりましたが・・・
伊能忠敬による日本全図の一枚
伊能忠敬が測量に使用した道具
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