つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

中山道鵜沼宿と炉畑遺跡

2012-11-06 | 岐阜県
 歌人クラブ吟行会午後は、中山道鵜沼宿と、炉畑遺跡と言う縄文中期の遺跡を訪ねました。静岡の登呂遺跡を見聞したのは50年前。久しぶりに縄文住居を見ることができました。

 鵜沼宿は中山道69宿の内、江戸から52番目。殆ど建物は残っていなかったのですが、平成18年に脇本陣などを再建。電柱を地中に埋めるなどの工事も含めて、26億もかかったと聞いています。上の写真は脇本陣鬼瓦。

 基本的には、この69宿を京から江戸まで、15日間かけたらしいのですが、皇女和宮は、お籠でゆっくりと25日間かけて江戸まで行かれたそうです。やはり東海道がメーンであるため、脇本陣の規模は小さかったようです。岐阜県内には17宿あります。全長534km.
 脇本陣のある通りに、大垣城鉄門(あかがねもん)があります。お城から払い下げられてこの地に移築されました。鉄で覆われているのは、火事から守るため。

 炉畑遺跡は、昭和40年代に発掘。一部復元され保存。全体的には公園になっています。発掘品は、中央図書館に保存されているようです。縄文時代と今とは川の流れが違い、当時は近くに川があった形跡があるそうです。

 
 
  再建された鵜沼宿 脇本陣

     
      脇本陣の大名の厠 たたみ敷きです 側近のものは1/4程度の広さで板敷 

          
           芭蕉の句碑

   
    濃尾震災にも倒壊しなかった建物

        
         大垣城にあった鉄門


遺跡案内板

      
       竪穴式住居

   
    10基発掘され一部復元されています

        
         竪穴式住居内部


コメント (12)
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