湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

11/10 母の家の補助具工事あり/大和の旧友の塾屋宅を訪問他

2020-11-11 05:59:00 | 地震津波災害ボランティア

2020/11/10 

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母の屋内安全の補助具設置の仕上げ工事があった。


トイレ風呂場内の手すり、振動センサー(床や壁に強い衝撃が加わると、某警備保障会社に連絡が飛ぶ)、折戸(風呂場で倒れた際、戸が開ける。)


午後から、母をリハと鍼灸師へ付き添う。夕方、辻堂テラスモールで、浜見平の##さんと合流して夕食。母を新居まで送ってもらい、私は昨日連絡をとった塾屋の友人に会いに大和へ。


奥さんとふたりで開いた塾だが、今は娘さんが加わり、3人+バイト1名の体制で30年になる。コロナ禍で、倒産寸前に追い込まれているが、家族経営なので生き延びているという。奥さんはピアノと英会話、本人は昨年まで私学高校の非常勤講師をしていたとか。奥さんが私と反りの合わない某政党系の市民活動家なので、その知り合いが塾を支えてくれるのだとか。娘さんは、ないしょなのだそうな。


とにかく久しぶりの再会。昔は埼玉の戸田にいた。大和は奥さんの実家があるからなのだとか。


今回は夜なので長い訪問は避けて、早めに帰宅したのだが、以前のようないじめや、学習遅滞への教育的情熱が消えて、子ども食堂に教室を貸す話が彼の新しい話だった。


次は塾が休みの日に、彼らを茅ヶ崎に呼ぶ。

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録画しておいた「クローズアップ現代 障害気づかず 大人に生きづらさを考え続ける 支援にどうつなぐ」(11/10 NHK-G)を見る。


コロナ禍は、社会に潜む問題を顕在化させる。計算困難、平衡処理困難ゆえに、定職につけない方や、コミュニケーション困難の方が、検査を受け発達障害や知的障害ボーダーの判定を受け、世渡り下手ではなく、障がいが原因とわかって次のステップへという事例。最近社会人の障がいが浮き上がってきているという。


私のみてきた方もまた類似の問題を抱えていた。学生と違い、経験した場面の中で考えていくというフォローをする。


私は5年前に職場を定年退職してから、ピンチヒッター依頼はあれ、通常の関わりの場をうしなった。コロナの件を聞くにつれ、そうだろうなと思うが、今は出会いの機会がない。現行の夜間傾聴の方々は古株か、相模原の塾の助っ人として、短期に関わる学齢期の方で、今出会っている社会人の方は障がい枠の方のため、救急急場の抑えの役割はあっても場面は稀れ、日常の境界の生々しさはない。限界ばかり見えて、唸ってしまった。番組の中身は新しくないのだが、社会運動といい、コロナに手足をもがれている感じがする。つぶされはしないが。


連載は時間切れ。


夜間傾聴 なし

(校正1回目済み)


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11/08 連載(12)

2020-11-09 04:58:00 | 地震津波災害ボランティア

2020/11/08 

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松戸の@@さんのくやし涙は、身に堪えた。私は70年代、社会党や社会新報、救援連絡センターなどの人脈から、差別や無理解により、孤立した立場にいる青少年の社会参加型支援の活動に関心を持つ方を探していた。しかし地域では、子育ての延長の親の視線の活動はあっても、当事者の自立活動とその伴走活動は少なく、高校生の社会政治活動の支援や、「もうひとつの学び」に特徴を置く「居場所としての私塾運営」を行いつつ、フリースクール的な志向の方とであっていた。しかし私のように、高齢者介護補助を抱えて、党関係のバイトすら関東圏拘束があるような、フットワークの重い若手は、全国の自由な学校建設や学園問題支援の見学話を聞く側となり、おのずと少数の方とのお付き合いに絞られていた。


@@さんとは、党のあった永田町の社文会館で、教組関連の会合の間の、出合いだったが、私塾の会や、数教協の会合で、学校教員ではない教育者との出合いが別にあり、以来、彼らが上京したときに会うというような、浅く長いつきあいの方が残っていた。@@さんの衝撃から、それらの方々の消息をたどることにした。


ひとりは、理数系分野のファーストエイド的な体験プログラムを語り合った世田谷の&&さんである。私学教員に復帰後、IT系体験教室の経営を始め、息子さんに経営を譲って、某保守党議員の後援会の会長をされていた。


3年ぶりの連絡だったが、癌手術後の隠居生活をしているとか。近々に会う。


もうひとりは、落合恵子さんのクレヨンハウスの支援活動をしていた☆☆さん、当時小2のディスレキシアの息子さんが、不登校になっていた。私が個人指導をしていたが、鏡文字や、スケルトン立体図の認識困難など、生育環境からは説明がつかない困難があり、精神科医師とつないだ学習を1年半ほど担当した。はじめての発達障害の子との出会いとなった。その子は、すでに若いおじいちゃんになっており、☆☆さんは、昨年亡くなっていた。海外旅行先でのマラリアが原因だった。今回話せたのは、奥さん(若いおばあちゃん)だった。


最後のひとは、現役の塾屋さん。「わかる数学」の、キャッチアップ塾。娘さんがSSW。コロナ禍で、塾経営が破綻の淵。近々に会う。


80年代の時代のうねりは、社員丸抱えの時代から、IT時代の予感を孕む専門職転職と起業のいわゆる職種階層流動化の社会的見通し不明の時代、学校では学級崩壊や、いじめの蔓延へとつらなっていく。


(つづく)


夜間傾聴 なし

(校正1回目済み)


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11/5 年末年始の通院計画/連載(11)80年代の不登校他

2020-11-07 04:00:00 | 地震津波災害ボランティア

2020/11/05 

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<注文した書籍から>

「もう一つのソーシャルワーク実践 障害分野・災害支援・国際開発のフロンティアから (OMUPブックレット)」

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784909933195

「福祉労働 障害者・保育・教育の総合誌 168(2020Autumn) 特集社会的距離と共生」

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784768423684

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母のめまいの季節が、やっとすぎたようだ。バス乗車時の筋力低下による転倒など、例年より危ない場面があったものの、家の中の突然の「めまい」の頻度が減っている。


私も困っていることだが、特に最近、太陽の高度が低くなり、対面直射光が視野に入ることが多くなり、ハレーションで目の前(太陽側)がみえなくなって危ない目に遭うことが増え、母は瞬時に身をよける反射神経が鈍るため、それが「めまい」の引き金になって、こわいと本人が語っている。これはおそらく病の原因のヒントを含んでいるのだろうが、医師も絞りきれない。出合い衝突の心配はつづいている。


明日、後期高齢者の特定健診があり、帰りに母を趣味の仲間に預け、東京の担当医のチームのPSWさんと、年末年始の診察の予定を相談しに東京に行ってくる。


そんなこともあって、配布が遅れないようにビッグイシューを、茅ヶ崎サポセンに持ち込んだが、購読者○○さん分が、メールボックスに前号をいれたままになっていた。旧友の事件があった後だから、気になる。自宅電話は、鳴りっぱなしだ。


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(連載11)

80年代初頭は、私が不登校・引きこもり児者支援に私塾を立ち上げ、フリースクールの枠組みを求めて、社会活動の情報網をたぐりながら、あちこち見て歩いた時期と重なる。


私の中には、「家庭不和の中で、自分の在り方、居場所を求めてのたうっている本人に寄り添う」という漠としたイメージがあって、私が出会う10歳以下の子の親からの支援活動とは、ずれが生じていた。


私は同世代の頃、体育と音楽実技を除き授業はクリアし、もっぱら私の生きていこうとする道を探ることに関心が向き、高度経済成長期の階層相続の発想で、受験競争成功者の道を歩ませようとする親とは、わかりあえる関係にはなく、遊びも、単調な受験競争の興奮も、仲間同調できない転校生、いじめに屈しない石頭は、学級の代わりに、私塾図書館に居場所を見つけ、書籍の内容に道を感じ取っていたこともあって、幼いとはいえ、不登校の子の親が自由の道を提供する発想には、違和感があった。幼くとも道を見つけるのは、自分だからだ。


時代は未来の就労の想像力をうしない、流れて生きれば、どこかにはまれるという現実主義がひろがっていた。しかしそれは、青少年をまるごと追い上げて、社会にはめる時代の終焉の現れでもあった。未来の手応えはモヤに隠れ、受験戦争は、しだいにエリートのものに変質していった。


ローティーンズの不登校の子たちの親は、当人の説得と学校の居心地を改善することにより学校復帰を働きかけたり、情操教育的な学校外のまなびの場を探ったり、当人の精神障害予備軍的ストレスの治療を行ったりしていた。私は知識の集団伝達のシステム老朽化に陥った公教育の改善に限界を感じ、学校外の磨かれた学びをさぐっていた。


しかしそれも、実際には授業から外れてしまう子、同調圧力に気がつかずいじめられる子が、親に理解されず、親と世間(学校)に挟まれて孤立している事態から、本人と知り合うことが多いため、ましてや思春期の子などは、彼らに伴走する立場から、まずは、ラポール(信頼)をたてることからはじまることになる。


太郎次郎社の「ひと」塾、私塾の会、数学教育協議会や、諸親の会、日教組系教研等をめぐった。いずれも、授業改善が不登校を、解決できると考えていた。


(つづく)


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夜間傾聴 なし

(校正1回目済み)


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11/03 連載(10) 時代の転換点/ ビッグイシュー配布開始

2020-11-04 06:04:00 | 地震津波災害ボランティア

2020/11/02&03 

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<予約した本>

コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記 

ISBN: 9784000614412

11/30 発売 稲葉剛他著

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連載(10)

旧友を訪ねたときの衝撃が残っている。80年代を描こうとした論点が、不登校の大衆化ともいうべき、授業目的の混迷、前提未来観の喪失という漠とした社会構造の転換と授業離れから、学園生活の檻化と荒廃、いじめと舞台が急に日常生活に閉じていく。学級崩壊をピークに、質が急に転換していくのが、80年代前半であり、バブル景気がはじまる後半には、消費文化が特にゲーム機の浸透と、素人とつながるアイドルの定着によって、子どもを左右していくようになる。


この子ども社会の芋洗い状況の中、いわゆる空気を読むことの苦手な子・おとなしい子がターゲットとなり、同調圧力の相互監視の被害など、陰湿かつ深刻な谷間におとしこめられていく。


この転換に立ち向かった関係者にも打診しつつ、不明瞭な経過を再度見直している。

(つづく)

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11/3

ビッグイシュー配布開始。


九条の会の☆☆さん、ガン在宅療養中なのに、玄関先に。強い方だ。驚いている。


母の補助食品を取りに、処方箋薬局へ。しかし、祝日は休み。文化の日など、全く頭になかった。


煮魚と茶碗蒸し、母、たいらげた。ぶぃさいんである。


夜間傾聴 なし

(校正1回目済み)


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10/31 松戸から帰り/懇話会の新候補/連載(9)

2020-11-02 05:21:00 | 地震津波災害ボランティア

昨日、松戸から帰ると、母はすでに家に戻っていた。仏頂面をしている。美容院からタクシーを使ったら、降りる間際に料金メーターの不正操作をされたらしい。それだけではない。母は自分のバッグを美容院に置き忘れており、私が取りにいくはめに。


路線バス往復。気分の流れを切り替えるために、チョコを買って帰ったが、見事に肘鉄をくらってしまった。お稽古の師匠が乳がんだとか、○Xさんの1周忌が明日だとか、年寄りの話は滅入ることだらけ。やけくそで赤飯を炊いた。「お前は馬鹿か」と呆れられつつ、いつもの夜がふけて行った。


母は、私の友人が、この一年で3人亡くなり、ひとり、言葉が不自由になりつつ車椅子の中で泣いていたことを知らない。この強引な幕引きが老いの報いかと、天につばを吐きたくなった。冗談ではない、友を返せ。

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10/31

懇話会候補がふたり増えた。ひとりは、また薬剤師さんだが、精神障害の方の訪問支援や、保健師さんとの災害時防疫指導をされている方だ。ただ、コロナ下の防災は、複合災害の想定を明確に絞り込んだ方がいい。


準備の話し合いの相手が欲しい。私の身の回りの婆さんたちは、子育てと家族不和以外に関心がない。災害を長いスパンで見ることが出来る相手だ。要援護者に思い至る相手。在宅避難者の緊急地域支援、まだこの辺を煮詰めていない。

もうひとりは、某宅配便の発災時連携を研究されている業者の方。障がい者支援活動や、高齢在宅避難者支援については、全く手付かずの状態で、公共避難所支援に発想がとどまっていた。私は医療品や治療機器の緊急搬入や、要援護者疎開の特殊な私物(カスタマイズされた車椅子・医療機器等)搬送というような目の細かい協業事例を提案している段階。マクロな視点では、宅配便中継基地とコンビニ店舗の有効活用など、可能性は大きいが、私の役割をはみだしてしまう。私は要援護者支援が、一般被災者の支援の陰に埋没させず、かつ実用性の高い支援を実現していく処に身をおく。


だから、新規に懇話会候補がひろがったものの、緊急性と皆に必要性が喚起できる現場の方を優先選択し、交流機会を仕掛ける。


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連載(9)

不登校・引きこもり内容の質的変化は、19651975の十年間とそれ以降では、社会背景の変化に伴う断層がある。それが高度経済成長の終焉とともに、受験競争による人生選択の提供指針の混迷が、学びの質的不信(「なぜ学ぶのか」「この学びは必要か」etc.)が主導し、授業忌避が進学校中心に広がり、漠とした未来の不安と鬱憤による生徒間いじめが登校拒否を生み出した。


教職団体は、「わかる授業」「チーム学習」を提唱する。しかし、わからないから生徒が荒れるという誤解があった。教員もまた社会変動を理解していなかった。


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夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)


(つづく)


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