goo

本とクルマをシェアする

パートナーの向かう先

 パートナーは大きいことをやればいいのです。そうすれば、彼らはパージするか、上げるかのいずれかを選択するでしょう。

 対象はマーケティングです。販売店を変えてしまうことです。そのための仕組みです。そのための修業は積んできた。メーカーでの思考ではなく、販売店からの思考ができる強み、全体が分かる仕組み。

 お客様と寄り添うスタッフ。その概念です。Tにしても。メーカーからではなく、販売店からの発想です。お客様からの発想です。それを今の段階で出来るのは、パートナーしかいない。それを女性チームで組めばいい。当然、TMを核になります。

 やはり、店舗コミュニティを目指しましょう。パートナーのテーマです。タブレット化もコンテンツの外部化もコミュニティでの知識と意識の方に集約しようとしています。あとは、存在の力だけです。存在の力でファシリテーションしていくことが必要です。パートナーにはそれができるのです。

考えるということ

 考えるということは、好きな人を求める気持ち、問題の答えを求める気持ち、そうした気持ちが新たな関係のもとで、新たな見方でモノを見させてくれる。世界全体が考えている。

本とクルマをシェアする

 新刊書は年間7万冊。私の1500冊というのは、2%に過ぎない。1000部印刷するから、全国15000の書店には並ばない。

 豊田市図書館のように、1億3千万の予算なら、大体、1部は来る。その意味では、書店よりも、図書館の方が新刊書にめぐり合う率は高い。ましては、それを買うのは難しい。

 本は中身です、コンテンツです。シェアすべきです。買うんだったら、個人だけど、シェアするとなると地域です。これは鉄則です。

 クルマも買うのではなく、シャアするとなると、地域とどういう関係を持つのか。それでこそ、はじめての有効活用ができます。本がコンテンツであると同様に、クルマの本質は「Fun to Drive」ではありません。移動する理由であり、移動する内容である。それが他に代替できるモノならば、代替した方がいい。

 甲子園球場のグランドに18人しかいない状態がクルマの関係です。一人が移動するのに、あれだけのコストとあれだけのエリアを使っては、これは成り立ちません。より多くの人が幸せにするかというと、シェアです。

 メーカーの体質は変えられないから、マーケティングとして変えていくしかない。行政と一緒になって、地域から変えていくことになる。行政にとって、クルマというのはインパクトがあると同時に、邪魔な存在です。

 インフラが必要だし、それを勝手に上げているし、それでもっと、人は分散することで、インフラの拡大が求められる。そのインフラを、インターネットの業者と同様に、タダ乗りしまう。グーグルのように、インターネットを使って、ローカルを支援する方に向かっています。悪をなさないという、彼らのモットーです。クルマもその時点に戻らないといけない。

 クルマをお客様が買うところに求めて、その利益を独占します。本という場合に著作権というけど、著者に報いるのは本当にやぐいです。

 価格が2000円で1000部刷って、印税は5%とすると、たった10万円です。ネットでコマーシャルを含めてやれば、10万円はたやすいです。その10万円を得るために、1000部を印刷し、エリアを確保するのは、悪です。甲子園球場です。

 印税の10万円を求めて、半年を掛けて、作り出す。これをやる理由は、本自体の意味に求めるしかない。それは物理的なモノではありません。コンテンツとして、論理的なモノになります。

 クルマは個人所有、そして買うということ、個人とメーカーとの関係を変えていかないといけない。それがいかにムダなモノであり。悪であるかということを認識しないといけない。

図書館コミュニティの役割

 本の返品率は35%です。印刷して、35%が戻ってきます。エネルギーを考えると、これだけでも電子書籍にならざるを得ない。全国、3500の公共図書館に、印刷部数1000冊を入れるだけでも、充分、ペイできるようにできます。それによって、買わない人も含めて、本のコンテンツは展開できます。

 図書館にコミュニティを作れば、その本をベースにして、著者の思いは拡大されます。

社会保障に関する国家の罠

 日本国民は国家によって、人質に取られている。財政赤字が拡大するたびに、私たちは国家破産するか、社会保障制度を崩壊するか、増税するかの三者択一になります。

 一般会計費92兆円のうち、社会保障費29兆円(31%)、国債費22兆円(24%)で、5割を超えている。国債費は国債をもっている人に全て還元される。つまり、消費税を払うことで、国債を持っているがもうかる。

 社会保障を維持しようとすると、消費税25%以上と言うけど、デンマークの国民の感覚は、国家にお金を預けているという感覚です。取られているという感覚ではない。ちゃんと、保証されているという、国家への信頼感の問題です。

 今回の消費税率が上がったことで、何が変わるのか。その使い道に対して、何もなくて、国家からの脅しだけがあります。日本は思考停止しているから、それでいいかもしれないけど、結局、自分たちに戻ってくる問題です。より多くの人がどうして暮していくのか。そのポリシーがない。

 社会保障にしても、元々、大正時代の家族制度から変わってないことを前提にしている。平均寿命が上がってくれば、介護する人の連例も上がっていく。これでは、制度は成り立たない。

 その意味では未来の姿が見えない。21世紀の歴史にしてもそうだけど、バックキャスティングしないと答えが出てこない。では、どういうカタチにするのか。依存の形にはなりえないといところから始めるしかない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 今日のキュー... パートナーの相談 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。