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『10年目の真実 9・11からアラブの春へ』より
「皆がオサマだ」

民衆革命のシンボルとなったカイロの夕ハリール広場。

二〇一一年八月。

9・11から間もなく一〇年になろうとしていた頃、この広場を占拠していたのは、数万人という圧倒的な数のイスラム勢力だった。地響きのような掛け声が一斉に上がっていた。

「イスラム国家! イスラム国家!」

イスラム勢力を徹底的に弾圧してきたムバラクという重いふたがはずれ、イスラムの国づくりを求めて大集会を繰り返していた。

演台に上がった男性が、マイクを使って絶叫した。

「もしアルカイダがいなかったら、この世は異教徒に支配されてしまっただろう!」

これまで抑えつけられてきたイスラム勢力の中の過激な思想を持つ人々も、公然と自分たちの主張を訴えるようになっていた。再び、大きな掛け声が上がった。

「我々はビンラディンと共にある!」

「アメリカよ、写真を撮ってくれ! ここにいる皆がオサマだよ!」

三か月ほど前に殺害されたオサマービンラディンの肖像画を高々と掲げる人たち。独裁者が追放され、民主化に歩みだしたエジプトで、ビンラディンヘの支持を訴える人たちが、これほど大勢いることに驚かされた。

私が駆け出しの記者だった頃、よく大先輩の記者に言われたことがある。

「ニュースの後に、ニュースあり」

記者は日々の新しい動きを追いかけ、ニュース取材に追われる。少し立ち止まって、以前取材したニュースの現場をもう一度取材してみると、そこに新たなニュースが見つかる。その立ち止まるタイミングは様々であろう。一週間後、一か月後、一年後かもしれない。NHKは、こうした節目の取材をとても大事にしている。

東京で中東取材の指揮を執るデスク、鴨志田郷からカイロ支局に電話がかかってきた。大きな節目となる、9・11から一〇年目の取材についてだった。鴨志田自身、エルサレム支局に駐在中、中東で起きる問題の根源でもあるイスラエルとパレスチナを取材し、ロンドンにいた時には7・7を経験している。9・11から一〇年目の節目には、強い思い入れがあった。

「9・11から一〇年目に、アラブの春が中東に吹き荒れるのは本当に興味深い。ビンラディンは死んだけれども、もう一度、9・11を検証してみようよ。イスラマバード支局で取材したことから何かつながらないか」

全く同感だった。鴨志田に背中を押され、私は、カメラマンのムスタファと共に、イスラム勢力が集まる夕ハリール広場に向かった。
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