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環境社会の因数分解の表現

やっと、因数分解も最後です。といっても、環境社会ですので、7つのジャンルとは別のテーマです。この部分について、どのようなイメージなのか上げます。

環境社会(8-8)の因数分解

8.8.1 市民生活の様子
 社会システム ①→② ③→④
  ①社会コミュニティ構築
  ②市民主体社会
  ③地域の活性化
  ④社会システムの再構築
 循環型社会 ①→②→③ ④
  ①使うことが主体
  ②コンパクトな単位
  ③循環型
  ④コミュニティで保証
 地域の活性化 ①→②→③ ④
  ①市民コミュニティ
  ②さまざまな手段でつながる
  ③市民センサーで状況把握
  ④コラボレーション
 社会変化を促す ①→②→③ ④
  ①名目は環境問題解決
  ②コンパクトな市民生活
  ③コンパクトシティ
  ④さまざまな選択肢

8.8.2 市民が強くなる
 自立・自律する ①→②→③ ④
  ①市民が主役
  ②社会レベルを引き上げ
  ③武装化して、自立する
  ④市民参画
 学習し、伝える ①→②=③ ④
  ①アイデアを重視
  ②社会コミュニティで実現
  ③市民の専門性
  ④市民サービス
 市民の結びつけ ①⇔②→③ ④
  ①都市の弱いつながり
  ②農村の強いつながり
  ③地域として独立
  ④多様な結び付け
 幸せのカタチ ①=② ③→④
  ①エネルギーで幸せになれない
  ②駐車場よりガーデニング
  ③全体の幸せが自分の幸せ
  ④人間がスマートセンサー

8.8.3 社会システム
 地域が独立 ①⇔② ③→④
  ①大きな単位の道州制
  ②自治体の権限
  ③多様なコミュニティ
  ④地域で支援
 全体効率 ①⇔②→③ ④
  ①コミュニティでいいとこ取り
  ②国は大きなこと
  ③全体効率を上げる
  ④クラウド・企業と連携
 クライシス対策 ①→②、③ ④
  ①クライシスは起こる
  ②それ以前に行うこと
  ③その後に行うこと
  ④地域として対策
 企業の役割 ①、②→③ ④
  ①商品が戻ってくる設計
  ②循環型の商品の取扱い
  ③新しい責任制度
  ④市民から始まる循環

8.8.4 ゆるやかな変革
 個人の活性化 ①⇔②→③ ④
  ①カリスマが支配
  ②別次元のコミュニティ
  ③市民会議
  ④生まれてきた理由
 ゆるやかなネット ①→② ③⇔④
  ①個人が核
  ②要件での組み合わせ
  ③組織のような固いもの
  ④柔らかいつながり
 組織巻き込み ①→②→③ ④
  ①市民生活を守るサービス
  ②企業のエネルギー対策
  ③組織でアピール
  ④コミュニティを支援
 世界へアピール ①→②→③ ④
  ①市民主体にする
  ②国・行政・企業が支援の連鎖
  ③新しい民主主義
  ④アジアの国
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哲学は、ある意味で、私の生命でした

289.3『ニールス・ボーアの時代』より ボーアと哲学

新しい物理学の創設者、研究指導者、研究所創立者、基金調達者、難民救援者、実験科学の指揮者、そして世界一周旅行者としてのボーアを見てきたが、次に、われわれは20世紀の重要な哲学者の一人としての彼に出会うことになる。ボーアは1920年の後半から、この領域で本領を発揮した。この頃、彼は物理学における相補性の精密化を開始し、別の分野への拡張に足を踏み入れていった。しかし、彼は、それよりずっと早く、学生時代から哲学的問題に強い関心を抱いていたことがわかる。

哲学者とは何か?『ブリタニカ百科事典』によると、哲学は一般名辞であって、使用する人と使用された時代によってその意味と範囲がかなり大きく変化した。『オクスフォード英語辞典』に書かれている哲学者の九つの明確な定義を読めば啓発されるところもあるが、これからの話に必要というわけではない。哲学に対するボーアの考え方そのものに沿ってこの章を進めよう。

まず、ボーアが哲学を全体としてどう捉えていたか見てみよう。

ボーアの相補性に関する最初の論文になる1927年のコモ講演でいくつかの草稿に、「量子論の哲学的基礎」という表題が付けられていることにはすでに触れた。また彼は、1957年11月の最初のカール・テイラー・コンプトン講座のためにマサチューセッツ工科大学(MIT)へ行ったときには、6回の講演全体に対して、「原子物理学の哲学的教程」という表題を選んだ.

この講座の冒頭で、ボーアはあらかじめ聴衆にことわっている。「私は哲学に対して十分な学識をもち合わせておりません。したがって、皆さんは、この演題からアカデミックな哲学的内容を期待しないでいただきたい。

こうした演題を掲げながら、すぐそれを否定するという対比の仕方ほど、ボーアの哲学全般に対する姿勢を見事に表現した事例を私は他に知らない。私の考えでは、ボーアは何よりもまず物理学者であった。しかし、彼のある考えが哲学的であるといわれたとしても、それが彼を哲学の専門家とみなしていることにならなければ、彼は決して反論しなかったであろう。

ボーアの哲学に対する考え方と哲学者に対する態度とは区別しないといけない。彼がとくに敬愛されたデンマークにおいてさえ、ボーアの貢献に対して哲学者の間から皮肉を込めた批判的な論評が多く現われた。ファウルフォルトは、2人の哲学教授が書いたテキストを私に見せてくれた。その2人は1950年代にコペンハーゲン大学の哲学課程で教鞭をとっていたが、その授業の中で学生に対し、ボーアはまったく間違っていると話していた。こうした意見やその他同じような意見は、後のボーアの意見を説明するのに大いに役立っている。「いろいろの人がいますが、哲学者と呼ばれる人で相補性とはどういうことなのか、本当に理解している人はいないと言ってよいのではないかと思います。……科学者と哲学者の関係はとても奇妙なものです。……問題は科学者と哲学者の間に直接何らかの理解が生まれる望みがないことです。]ボーアは哲学者の集会に出席したのち、私の友人イェンス・リンハートにその日のことを話した。「私は重大な発見をしました、とても重大です。哲学者たちがこれまで書いてきたことは全部まったくの戯言です(……er det rene vaas)。」

ボーアの気に入るような哲学者の定義は『オクスフォード英語辞典』ではとても見つからないが、次のようになるだろう。専門家と哲学者の違いは何か? 専門家とは、いくつかの事柄についてあることを知り分かろうと研究をはじめ、研究がすすむにつれて知識が増し、知るべき事柄は少なくなり、っいには知るべき事柄はなくなり、それについてあらゆる事柄を知って終わる人のことである。これに対し哲学者とは、いくっかの事柄についてあることを知り分かろうと研究をはじめ、研究がすすむにつれて分からないことが増し、ついにはすべての事柄にっいて何も分からないで終わる人のことである。この章のはじめに掲げた、「哲学を嘲笑することは真に哲学的である」というパスカルの言葉には、彼に訴えるものがあっただろうと私は思いたいのだが、1951年にデンマーク哲学心理学会の名誉会員に選ばれるとボーアはそれを喜んでいた.
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賢者の政治

『世界を変えた哲学者たち』より ハイエク……民主主義にご用心

●ハイエクは民主主義者ではない

 ハイエクは勤勉である。七十歳を過ぎた年齢で『法と立法と自由』という分厚い本を書いた。これは全三巻からなり、第一巻(一九七三年)では「自生的秩序」、第二巻(一九七六年)では「社会正義の幻想」を論じる。そして一九七九年、八十歳の年には第三巻を出し、そこで政治制度を論じることになる。

 この政治論がしかし奇妙なしろものなのである。

 ハイエクは自由主義者であるが、民主主義者ではない。個人の自由を至上のものとするが、しかし民主主義(大衆民主主義)はきらいである。大きらいである。ハイエクの哲学を解く鍵はむしろここにある。
●民主主義は危険である

 自由であるとはどういうことか。それは「拘束のない状態」である。政府からとやかく命令されない状態である。政府からみれば、あまり権力を使えない状態、権力の制限された状態である。これが自由の普通の意味である。

 しかし民主主義はそうではない。民主主義とは民衆の意志が権力をつくる、政府を拘束するということである。

 ある政治権力(政府)が正統とされるのは、その権力による支配が民衆の意志によって承認されているからである。

 民主主義においては民衆の意志は絶対であり、制限されることはありえない。民衆の意志が制限されるのであれば、それは民主主義ではない。

 したがって、民衆の意志によって成立した政府の権力は制限されない。その権力は、民衆の同意があるかぎり、無制限である。民衆が望んだことを政府は実行しなければならない。

 自由主義では政治権力は制限される。しかし民主主義では政治権力は全能となるのである。
●民主主義を抑制する

 したがって政治権力は、もし民衆が望むのであれば、自生的秩序(自由な市場経済)に遠慮なく介入するだろう。富者に累進税を課し、相続税を徴収するだろう。そうした税金を民衆のために再分配するだろう。

 これではいけない! 民主主義のもとでは自由がこわされる!

 こうして、民衆の暴政から自由を救い出すために、ハイエクは古代ローマの元老院のような政治システムを考案するのである。

 ハイエクのプランによればこうである。

 年齢四十五歳から六十歳までの人びとからなる「立法院」をつくる。国民は四十五歳になると自分たちの同世代から(比較的少数の)議員を選ぶ。この議員たちの任期は十五年であり、再選はない。六十で定年である。

 立法院の議員たちには、引退後の生活の心配をしなくてもいいように、引退後は裁判官などのポストが提供される。こうすることによってこの議員たちは利害団体の圧力から解放され、自由に政治を考えることができる。

 この立法院は政府にたいして大きな権力をもつ。政府が計画する政策はすべて「自生的秩序」に違反していないかどうか、この立法院の審査を受け、そしてその承認を必要とする。

 これがハイエクのプランである。
●賢者が監視する

 この立法院とは別に「第二院あるいは行政院」というものがつくられる。

 行政院の議員は選挙で選ばれ、その多数派が政府をつくる。この政府と行政院とを立法院が監視・監督するのである。

 問題は立法院の議員の選出であるが、ハィエクはくわしいことは書いていない。「地域ごとに指名された委員が彼らのなかから代表者を選ぶ」とある。

 また、立法院の議員になれるのは、「すでに生活のなかで力量をしめしている人びとだけ」とある。つまりは、同世代の人びとから、社会の有力者・名士が選ばれ、彼らが自分たちのなかから立法院の議員を選出する、というシステムであるらしい。
●名望家の支配

 これは名望家政治の復活ではないか?

 民衆による選挙の拘束から解放された名望家たちが、民衆によって選出された多数派の政府を監視するのである!

 ハイエクは累進課税制度や相続税にも反対するのであるが、その理由はそうしたものによって由緒ある名家・上流家庭が消滅するというものであった。

 ハイエクの自由社会には民衆のレベルとは別個の次元にある名家が不可欠であるようにみえる。この「名望家」たちが自生的秩序の保護者となる。

 実に奇怪な光景ではなかろうか。

●ハイエクが本当に恐れたのはなにか?

 彼が本当に恐れていたのは社会主義ではない。民衆による支配である。

 自由は民衆の暴政から防衛されなければならない。自然(自生的秩序)にまかせていてはたよりない。そこで賢者による支配が構想される。

 なんと奇妙な自生的秩序であることか!
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