未唯への手紙

未唯への手紙

生きることは苦である

2012年03月14日 | 2.数学
NHK「ブッダ 真理のことば」より

苦悩のメカニズム

 強烈な精神集中の結果、ブッダが悟ったこの世の真理を「四諦」と言います。人間の苦悩が生まれ出るプロセスを分析し、それにどのように対処すべきかを説いた「仏教の基本方針」です。先ほど少し述べたベナレスでの「初転法輪」の際、弟子たちに向かって説いたのが四諦でした。

 ブッダによれば、この世の真理には「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」という四つの局面があります。「苦諦」とは、この世はひたすら苦しみであるという「一切皆苦」の真理。「集諦」は、その苦しみを生み出す原因が心の中の煩悩だと知ること、「滅諦」とは、その煩悩を消滅させることで苦が消えるという真理、そして「道諦」は、煩悩を消滅させるための具体的な八つの道を実践することです。

 このように、苦しみの原因を、外的な物理現象ではなく、自分の心の在り方へもっていくところに仏教の特徴があります。たとえば病人がいて、病気の苦しみの原因を病気そのものだと考えるなら、その解決方法は、病気を治すことや病気にならないようにすることだということになります。それが可能なら、問題はすべて解決です。

 しかし、私たちが生きものである以上、病気をなくすことはできません。医療によって生存期間を延ばすことはできても、病気そのものを完全になくすことなど不可能です。これに対して、苦しみの原因が病気そのものではなく、永遠に健康なままでありたいといった心の願望にあるのだと考えるなら、解決方法はその気持ちを変えるほうに向かいます。人間は誰もが老い衰え、病気になる。その事実を正しく受け入れることができるように自分の心を変えていく。それが苦しみを消す唯一の道だ、ということになるのです。

 先ほど「道諦」は「煩悩を消滅させるための具体的な八つの道」という説明をしましたが、これを仏教では「八正道」と言います。中身は、「正見(正しいものの見方)」「正思惟(正しい考え方)」「正語(正しい言葉)」「正業(正しい行い)」「正命(正しい生活)」「正精進(正しい努力)」(正念二正しい自覚)」「正定(正しい瞑想)」です。言葉にすれば、なんのことはない、正しい生活を送れと言っているだけのようですが、その「正しい」という形容詞が重要です。それは、自分中心の誤った見解を捨て、この世の有り様を客観的に合理的に見るという意味を含んでいます。そのような姿勢で日々の行動を律していけば、煩悩を消すことができると言っているのです。

 『ダンマパダ』では、四諦八正道について、次のように言っています。

 仏と法と僧に帰依する者は、四つの聖なる真理、すなわち「苦」と「苦の発生原因」と「苦の超越」と「苦の終息へとつながる八つの聖なる道」とを正しい智慧によって見る。(190、191)

 冒頭の「仏と法と僧に」というのは、「仏」=ブッダ、「法」=ブッダの教え、「僧」=サンガ(僧団)という仏教の三つの重要な要素のことで、あわせて「三宝」と言います。聖徳太子が「十七条憲法」の中で「篤く三宝を敬え」と言った、あの三宝です。

よりどころは自分

 ブッダが創始した仏教、すなわち「釈迦の仏教」の最大の特徴は、外の力に頼らず、あくまでも自分の力で道を切り開くという点です。

 これは、それまでの宗教の通念を覆す考え方でした。仏教が現れる以前、インド社会はバラモン教の教えに支配されていたのですが、それは、この世は超越的な存在(ブラフマン=梵)の上に成り立っており、自己(アートマン=我)が幸福になりたかったら、その超越存在との一体化を目指せ、という考え方だったからです。これを「梵我一如」と言います。

 しかし、ブッダはその考え方を採らず、「頼るものは自分だけ」という信念をもって、みずからの苦悩を解決しようとしました。少し強い言い方をすると、ブッダはバラモン教を全否定して登場してきたのです。ある意味では、きわめて過激な新思想の旗手だったとも言えます。

 『ダンマパダ』では、次のように言っています。

 自分の救済者は自分自身である。他の誰が救ってくれようか。自分を正しく制御してはじめて、人は得難い救済者を手に入れるのだ。

 どこにもよりどころを求めず、一個人の力で人生の苦しみを解決するというのは、そう簡単にできることではありません。しかも、苦悩が生まれるメカニズムが「わかった」というだけではダメなのです。メカニズムを理解したうえで「実践」して、「自分を変える」ところまでやらなければなりません。そのためには、毎日毎日瞑想して、悟りに至るまでに一生かかるというのが修行です。否、一生かかっても無理かもしれません。

 ですから、「釈迦の仏教」の目標は、「永久に到達できない目標に向かって、一歩でも近づけるよう努力し続けること」とも言えます。そのくらい困難な目標ゆえに、雑務の片手間に修行する程度ではとうてい足りず、本気で悟りを志すならば、やはり出家するしかないということになるのです。

 キリスト教では、信者になることはあっても、「出家」というようなことはあまり言いません。神を信じる心が日々の暮らしの中で表現できていれば十分だからです。この点も、二つの宗教の異なるところです。

 では、二千五百年も昔の世界で、人生の苦しみを離れるために、倦むことなき自己鍛錬を説いたブッダの言葉を二つほど挙げて、この回を終わりにしましょう。

 この身体を、瓶のように「もろいものと」知り、この心を、都市のように[堅固なものとして]打ち立て、智慧という武器で悪魔と戦え。そして勝ち取ったものは、それに執著することなく護っていけ。

 戒や誓いだけでは手に入らず、あるいは博学であることや、瞑想の体得や、人気のない場所での寝起きによっても手に入らない、凡夫では味わうことのできない出離の安楽を、私は得た。修行者(比丘)たちよ。煩悩が消滅するまでは、気を許すな。

キャリア会社の二度目の裏切り

2012年03月14日 | 1.私
未唯へ

 バスの中の作業は酔います。バスの往復の2時間は睡眠に当てます。その分を夜中にやりましょう。

 スタバのIさんがいました。先週末は休んでいたみたいです。昨日からバリスタに専念したので、あいさつできなかったみたいです。

 若奥様風のスタッフの笑顔はなじまない。Iさんの子どものような笑顔が一番です。

 複雑性は要素を分解せずに、全体を理解すること。これを社会の常識にさせます。

社会編の因数分解

 やっと、社会編に移りました。再編成というよりも、ロジックの因数分解をしている雰囲気になっています。

 社会編から何を得るかです。とりあえず、やりながら考えていきます。社会になると、環境問題、エネルギー問題、人口問題などを片付けることを考えないといけない。本当は政治をやりたいけど、あまりにも政治がだらしない。Think Globallyができていない。

 だから、地域から変えないという意味では。今までと同じ結論になっていきます。その中で、人口減少、環境悪化、エネルギーの使い方をどう救っていくかという見方でしょう。それが仕事と異なるところです。仕事は企業の中に問題が限られている。社会の中の一分野にはなります。

キャリアK社の二度目の裏切り

 6年前のネット設置時に、2年後までに、全て光にするというコミットが守られなかった。何も努力されていない。光でない所を全て光にすると、去年の9月に答えてきた。だから、我々はKDDIに決めた。これは企業間の約束です。

 3月には、新しいネットで対応すると言っていたので、それを信じてやってきた。蓋を開けたら、100箇所ぐらいができない状態のままです。その内容がいつまでも出てこないから、パートナーからよこせ!ということでやっと出てきた。それを見ると、まだまだ、予定が立たないと書かれている。

 光になっていない所は、光化の費用はただという約束だったから、只にさせないといけない。裏切りにはペナリティを!


年替わりのGM

 それにしても、年替わりのGMは当てにできない。当てにはしていないけど。

 1年前の構想を説明したけど、反応はまるで名古屋です。自分の問題としていない。ネットワークをどうしていくのか、販売店をどうしていくのか、日本の社会をどうしていくのか、に対しての見解を持っていない。

地域コミュニティと社会の課題

 エネルギーに関しての、地域コミュニティの役割は分かってきました。それで変えていくということ。人口減少に対してはどうするかです。トルコの人口は増えている。

 自分たちでできることは自分たちでやるカタチ。行政に任せないということ。そちらにして、いかに少ない人間でやっていくか。一人一人の存在を大切にしていく。頼ることをやっていく世界。

 人口は増加しないし、海外というのも難しい。海外のコミュニティと連係して、コミュニティ同士で人口のやりくりする手はあります。

 今までの人口流出とか流入とかの次元を超えて、個人レベルではなく、同じ価値観を持ったグループレベルにしてしまう。

ローカル発想

 私の場合は単なるローカル発想ではない。ローカルに対して、基本座標系、モデル化があって、その上での発想です。

未来を知っている人

 名古屋にとっては、私は未来から来た人間かもしれない。研究開発部署で、光回線もパソコンもライブラリもやってきた。メールもこの会社では最初に入れました。まだ、英語版です。

 個人の環境を作り上げた。それまで、組織だったコンピューターを個人が使えるようにした。マッキントッシュのソフトウェアを検証して、技術者に使えるようにした。その費用は従来のオフコンの世界に比べると、10分の一でした。

 設備計画で半額にさせられても、知恵で乗り越えました。技術者には自分のためのデータベースを作ってもらった。自分の専門分野のデータをそれに入れ込んで、自分で考えられるようにしていくこと。実験室と設計室を光回線で接続して、実験結果を強力なグラフソフトを使って、答を見えるようにしていった。

 今まで、メインフレームを頼んでいたものを、全て、個人でできるようにした。個人用のデータベースも入れ込んだ。こういった環境を展開していかないと、その技術者が欲しいものができない。できた成果も展開できない。技術者のアイデア一つで変わっていく世界を作り上げた。

 女性事務員も単なる補助ではなく、パソコンなどを使って、やるべき事をやれるようになってきた。なにしろ、技術者が取得したデータを女性事務員でグラフ化するのに、2,3日掛かっていた。

 それから、レポートにもCADにもつなげられるようにした。技術者のアイデア一つで変わっていく世界を作り上げた。

 そういう世界から来ました。名古屋のように全てを依存の世界ではどうにもならない。

地域コミュニティの環境を作る

 逆に言うと、この考え方自体が地域コミュニティに反映されている。その地域で、どのように生きていくかということと同じです。

言葉をロジックにする

 15年以上考えてきたことを言葉にしようとしているし、ロジックにしようとしている。今まではそれを表現する手段を持っていなかった。だけど、まだ、伝える相手を持っていない。全体ではムリだから、個別にしないとムリです。

 個別にすると、意図が欠落します。その人は適当なことをやる。まあ、年替わりなら、やらせておけばいい。個人の環境を作ったら、どうなったか。研究開発部署では、部の雰囲気が変わったと言われた。皆、自分でやるようになって、活気づいてきた。

スタッフの環境への展開

 プロであれば、技術者が出来て、販売店のスタッフができないはずがない。単にやらせていないだけです。そのために、データではなく、文言でできるものが必要になってきた。チャッターで出来るようになりました。

 店舗で使えれば、地域コミュニティでも使えます。さらに皆のアイデアを入れ込めば、地域活性化につながります。

 地域コミュニティが先になった時に、店舗はスポイルされる。関係なくなる。つまり、時代に置いていかれる。

人口減少時に社会のあり方

 人口減少でのポイントは、老人の知恵をどう使っていくかです。これは極端なケースとして、老人ホームのシステムを使っていけばいい。ここにも地域コミュニティができるはずです。

 それに合わせて、住宅のコンパクト化も進めていけばいい。コンパクト化の意味次第です。コンパクトシティにしても、そう簡単に作れない。そして、幸せになれない。老人がどう動くのか、どういう家族形態になっていくのか。

 消費税の問題についても、どういう社会にしていくのかの合意が先です。それで何パーセントになるかをコミュニティで決めていけばいい。当然、自分たちでやり抜いた分はマイナスさせます。

 もう一つは、若者が夢を持てるかどうかです。今のままでは夢は持てません。だから、自分のアイデアを実現できるという世界を作っていく。大きな範囲とか組織の中ではどうしようもない。

 地域コミュニティなら、いくらでも場ができ、仮説・実証できます。その成果を伝え合えばいい。

光の0道

 朝の34階からは光の道が見えます。太陽が街を照らします。これが楽しみです。

 社会のネットワークでは光の道が影響力を持ち、市民をつなげるものになるでしょうか。光とは何か。