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イスラーム政治体制の「終わりの始まり」

『中東新秩序の形成』より

オバマの言葉はうわべだけの虚偽だと、にべもなかったアラブ人たちは、ホロコーストの史実を否定したアフマディネジャド大統領の発言の方に親近感をもつのであろうか。そうではあるまい。アフマディネジャドのホロコースト否定は、国際社会でかえってイスラエルヘの共感を増大させる〝功労者〟ともなったハターリク・アル・ハミード「誰がナイーヴか、アラブ人かオバマか?」『アッシャルクルアウサト』二〇〇九年六月八日)。実際、再選されたアフマディネジャドの存在は、イスラエルはもとよりある程度は欧米にとっても「外交的資産」だという皮肉な見方さえある。ホロコースト否認の「シーア派ファナティシズム(狂信)」はグローバルな反イラン戦線の創出を助けるからというのだ(アタオッラー・モハージェラーニー『アッシャルクルアウサト』○九年八月十二日)。

第四章で述べたように、いまイランで起きている事態はイスラーム政治体制の「終わりの始まり」である。そして、イランにおけるポピュリズムとデマゴギーと理想主義や熱情との奇妙な複合は、いまホルムズ海峡の封鎖という危険な賭けに打って出ているかに思える。

緊張が引き起こされたきっかけはい二〇二一年一月六日に革命防衛隊海軍司令官アリー・ファダヴィー准将が「湾岸とホルムズ海峡で演習を行う」と言明したことである。彼は、イランがホルムズ海峡を完全に管理しており、陸上のあらゆる動きを監視していると述べた。これはアラブヘの嫌がらせとしての海峡封鎖の脅迫にとどまらず、湾岸地域の陸地への監視能力を誇示した発言である。しかし、より本質的には、核開発をめぐるアメリカの制裁強化(各国のイラン中央銀行との取引中止要求)やEUによるイラン産原油禁輸への対抗措置として海峡封鎖の可能性を高言したと理解すべきであろう。もちろん、イスラエルによるイラン攻撃を牽制するための警告でもあった。

イランの動きを歴史的に見れば、一九九〇年のサッダーム・フセインのクウェート侵攻と比較することも可能であろう。サッダームは、中東に大きな影響力のあったソ連が弱体化し分解するプロセスで生じた政治的な真空を自分が埋められると信じ、かねてから領土と石油に野心のあったクウェートに攻め込んだのである。同様に二〇一二年のイランは、米軍のイラク撤退、アフガン撤退予定にともなうアメリカの中東ヘゲモニーの。消滅々で生まれる真空をみたす野心をもっている。これは中東とくに湾岸での「アメリカの崩壊」という見立てだと説く論者もいる。自らがアメリカに代わって中東の。超大国‘となり、海峡封鎖によって湾岸水域への米海軍のアクセスを阻止しようとでもいうのだろうかハジャミール・スィヤービー「いくさの太鼓が鳴り響いている」『ダールルハヤート』 一二年一月九日)。

しかし、イラン海軍にも革命防衛隊にもその技量と実力はない。ないだけにこの虚喝と背伸びが危険なのである。一月六日の封鎖の示唆は、前日五日に発表されたオバマ大統領の新たな国防戦略に対応している可能性があり、アジア太平洋地域における日本の安全保障にも関係してくる。

「アメリカの世界的リーダーシップの維持と二十一世紀の国防の優先事項」と題されたこの新戦略は、国防費の大幅削減に対応したものである。今後十年で約四千九百億ドル(約三十七兆二千四百億円)の削減を決めたアメリカ政府は、この文書で二〇二〇年の米軍の任務の「青写真」を描いており、中東での十年に及んだ戦争のあとの戦略的転換期にあるという認識に立って、米軍全体の規模を縮小しながらアジア太平洋地域に戦力の重点投入を進める「選択と集中」を柱としている。

ここでは中国について「地域での摩擦を避けるために、中国の軍事力増強はその戦略的意図を一層透明にしながら進められなければならない」としたうえで、「アメリカはアジア太平洋地域に接近するために必要な投資を続ける」と明言している。中国の接近阻止戦略に対抗する意志を明示したのだ。ただし、テロ対策や大量破壊兵器不拡散の観点から中東地域も重視しており、イランの核兵器開発阻止と同盟国イスラエルの防衛のための軍事プレゼンスの維持を述べている。また、二つの紛争に同時対処する「二正面作戦」を放棄する代わりに、一つの紛争に対処しているあいだに「第二の地域」で敵が戦争を起こさぬよう「抑止し屈服」させる考えにも触れた。二正面に同時対応することを諦め、一つずつ処理していく。時間差介入〃に切り替えたといえばよいだろうか。

イランはこの新戦略の発表をふまえて、アメリカの反応を探ったのであろう。あるいは、核・長距離ミサイル開発の同盟国にして友邦である北朝鮮との交誼で、北東アジアヘのアメリカの圧力を牽制するジェスチャーをした可能性もある。イランにとっては、二〇一一年のアラブの変革から受けた二つの屈辱を癒して、アラブの市民運動がイラン国内に転移しないように対外的に緊張を醸し出す思惑もあったはずだ。あえていえばイランは、革命というよりも危機を輸出しているのだ。

その第一は、二〇一一年春にGCCがバーレーンヘ派遣した部隊によって、シーア派市民の反抗とイランの影響力が排除されたことだ。第二は、イラン最大の同盟国シリアで市民必死の反抗が長引いていることでアサド政権が国内状況に手いっぱいであり、同盟国としてイランを援助できない苦境にあることだ。しかし悪い話ばかりではない。米軍が撤退したイラクでマーリキー政権がイラン寄りの姿勢を示していることは、ホルムズ海峡封鎖の威嚇に有利な条件として働いてもいる。
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民主政治の退行

『アメリカ史研究入門』より

〈社会コミュニティは米国に先行して欲しいが、当てにならない)

アメリカの民主政治のありようが近年、より根本的なところで退行をみせているとするアカデミア内で聞かれる発言にも注意をはらう必要があろう。一つは19世紀から20世紀中頃まで民主政治に活力を与えてきた市民の自発的結社への積極的参加が衰退傾向をたどっていることをめぐる議論である。ロバート・パットナムは著書『孤独なボウリング』で各種の集団に人びとが自発的に参加する傾向が退潮したことを指摘し、社会的信頼感や各種の対人的な社会的ネットワーク「社会関係資本」を回復させる最適の場は、地元のコミュニティだと論じている。これに対して政治歴史学者シーダ・スコッチポルは、アメリカにおける草の根ボランティア主義と民主政治との相互影響を歴史的に考察し、かつては人びとの自発的結社への参加が全国的な政治と繋がり、この国の民主政治に活力を供給していたことを指摘している。コミュニティレベルの参加だけではこの国の民主主義の衰退を救うことはできない。一方で彼女は1960年代から70年代の社会運動がアメリカの市民社会を民主化したとするリベラル派に多くみられる見解も批判する。彼らは不本意にもナショナルな市民社会に専門家が運営する結社団体(アドボカシー・グループ)を群生させ、メンバーシップを基盤とした伝統的な全国的結社を退潮させてしまったからである。彼女によれば今日活躍する市民アドボカシー・グループはエリートや専門家によって運営され著しく寡頭的であり、民主政治に重要な包括的な市民動員の衰退を招いている。

アメリカの民主政治は21世紀初頭の今日危機に立たされているとより厳しい警告を発しているのは、憲法構造の非民主性も指摘するダールである。彼は近著『政治的平等とは何か』で、1960~70年代の社会運動と立法によって前進したアメリカの政治的平等は、今日の著しい経済的不平等の結果後退を強いられていると述べている。また彼によると新たなテロリズムの脅威の影響で、重要な政府の決定や選出した代表に対する市民の影響力が大きく後退し、この国の政治が民主主義であることが疑われるようなレベルにまで落ちつつある。アメリカ人の多くがいまなおとらわれている消費主義文化の根強さを考え合わせると、アメリカの政治的不平等はさらに増大するだろうと悲観的なシナリオを彼は示している。だが他方でダールは支配的な消費主義文化が共通善の追求をめざす市民的文化に道を譲れば、今日の政治的不平等は改善されるだろうという希望的なシナリオも示し、アメリカの文化と価値の変化に一片の期待もいだいている。
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サファイアが見つかって、良かったのか悪かったのか?

社会をグローバルとローカルに分けた。これは数学的な手法です。それにThinkとActをくっつけたのは、これはThink Globally, Act Locallyからです。あの言葉を知って、ThinkとActが非常に重要だということ。

Think Globally, Act Locallyというのは、おかしい。二つものモノが挟まるものです。Act GloballyとThink Locallyがあるはずです。4つになると、これは循環します。二つならば、一方通行だけど、4つになると、回り始める。

以前から疑問に思っていた、ナチがドイツを支配できた理由とつながった。ナチのロジックをThink Locally, Act Globallyという対偶の関係で説明できた。個人の思いに時代が過剰反応したのです。{Think、Act}と{Locally、Globally}で世の中をみることができることを確認した。

それを販売店ネットワークの中に、入れ込みました。企画する部分、システムを提供する部分、販売店の本部と店舗という4つの機能に当てはめました。

ポータル、ライブラリもその循環の中の機能として考えると分かりやすい。ストック情報とフロー情報に当てはまります。おかげで、TGALの4つの循環の間に、ライブラリ、ポータル、コラボレーションを与えることができた。

パートナーの仕事を見ていると、ファシリテーションという言葉がぴったりする世界がある。これはAct GloballyからThink Locallyへのアクションです。

それに対応する概念として、Act LocallyからThink Globallyへ働きかける、インタープリテーションが見つかった。現場からの意見で企画を変えることです。パートナーの次の仕事です。

FacilitationとInterpreterの概念を取り入れて、販売店ネットワークに名前を付けました。Sa-fireでサファイアです。Sustainable Architecture for ficilitaion, interpretation, realization, empowermentです。

そこまでの偶然が重なったことは必然ということで、サファイアを大きな概念にしてきた。その後は、全てのものをサファイア循環で考えるようにしています。それで正しいかどうか分からないけど、これが一つのカタチです。

社会もグローバルとローカル、ThinkとActの組合せになっている以上、これに従います。サファイア循環には方向性があります。これが重要です。グローバルから見ていく方が物事はわかりやすい。最初はThink Globallyを出発点として、見ていた。

グローバルでの企画力がなくなってきた。全体の循環する力がなくなってきた。では、どうするのか。Think Localという現場の知恵を出発点にするしかない。ローカルからグローバルを作り出す。この雛型があるのか。数学の近傍系から全体の空間を定義することが当てはまります。これを雛型にしました。

それ自体は数学の耐久力の勝負です。思考がそれをカバーしてくれました。数学は真理です。では、ローカルの近傍系は何か? 環境社会でわかったのは地域コミュニティです。

本来、点である人が強くなればいいけど、それは難しいので、近傍として地域コミュニティを作り、それを核にしていく。そこから、地域の活性化、全体の活性化、そして、個人の活性化につなげるというのが、今のシナリオです。これらはサファイア循環に即しています。

サファイア循環から先の姿を見ます。グローバルはさらにグローバルに、ローカルはさらにローカルに。グローバルのグローバルは国の単位からもっと大きな単位へ。ローカルのローカルはグループから小さなグループへ。同時にグループの連携が強まります。

当然、その時には地域という単位でつながるのではなく、同じ価値観を持つものがつながっていく。これはギリシャの将来とフィンランドの地域を見ていて、考えついた。ロバニエミでの地域から、もっと小さな単位になっていく。同じモノがくっつく方が自然です。
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