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蹂躙されるギリシャ

『物語 近現代ギリシャの歴史』より

蹂躙されるギリシャ

 ギリシャヘの攻撃は、一九四一年四月六日に開始された。ギリシャ軍と、援軍のイギリス軍は、ドイツ軍の攻撃の前に手も足もでなかった。四月二七日、ドイツ軍はアテネに入城した。アクロポリスの丘のギリシャ国旗が降ろされ、ナチ党のハーケンクロイツの旗が掲げられた。ギリシャ領内で最後まで持ちこたえていたクレタ島も、ドイツ軍のパラシュート部隊によって、六月の初めには陥落した。

 ギリシャ全土は、枢軸国--ドイツ、イタリア、ブルガリア--によって分割・占領された。ブルガリアは、自国領の南に広がる東マケドニアと西トラキアを得た。ドイツは、戦略的に最も重要な地域--ギリシャ第二の都市テッサロニキを含む西マケドニア、トルコ国境に接する部分のトラキア、トルコ沿岸部に近いエーゲ海の島々、クレタ島西部--を支配下においた。イタリアは、アルバニア国境の南に広がるイピロス、テッサリア、ステレア・エラダ、ペロポネソス半島、エーゲ海のキクラデス諸島を含め、ドイツが獲得した島以外を手にした。首都アテネは、ドイツ、イタリア、ブルガリア三国による共同占領とされたが、実質的にはドイツの統制下に置かれた。

 国王ゲオルギオスニ世とエマヌエルーッデロス首相率いる政府、そしてギリシャ軍の一部は、クレタ島に避難した。クレタ島がドイッ軍の手に落ちると、政府と国王はロンドンに亡命し、一九四三年三月以降はエジプトに拠点を置いた。ギリシャでは、ッォラコグル将軍を首班とする傀儡政権が樹立された。この政府は、ギリシャ・ファシスト党やギリシャ民族同盟、ギリシャ国家社会主義政治組織といった極右政党によって支持された。

 ドイツ軍は、苛酷な占領体制をしいて、ギリシャ経済を徹底的に破壊した。ボーキサイトなどの鉱物資源を奪取し、小麦、オリーヴ、ヮイソ、柑橘類といった農作物を、占領軍のために徴発した。ギリシャの人々は、ドイツ軍の占領経費の肩代わりも要求された。そのような容赦のないやり方に、同盟国イタリアのムッソリーニですら、不満を口にした。「ドイツ人は、ギリシャ人から靴ひもすら奪っている。それなのに、今となって、ギリシャの経済状況が悪化したのは、われわれイタリア人の責任であるかのように装っている」。

 ドイツ軍による占奪は、一九四一年から四二年の冬に、厳しい食糧難をもたらした。ギリシャ人と結婚してアテネに住んでいた、あるイギリス人女性は、一九四二年二月二四日の日記に、こう記した。太陽が顔を出して、穏やかな日。春が近づいている。でも、ますます多くの人々が飢えのために死にかけている。一日平均五〇〇人が命を落としているらしい。外では、舗道に死体が横たわっているのをよく目にする。死体をまたいで歩くのにだんだん慣れてきた。ヨルゴス[夫]によると、市の手押し車が、夜明けに死体を収集しているということだ。

 街頭に横たわる死体は、アテネの日常の風景の一部となっていた。この冬、ギリシャ全土で、およそ二〇万から三〇万の人々が、飢えのために命を落とした。捨て子の数も増えた。貧しさのために子どもを養うことができなくなった親たちが、裕福なギリシャ人家庭や赤十字施設の玄関先に、子どもを置き去りにした。

「自由を取り戻せ!」

 超インフレが、食糧不足につづいた。日用品の値段は急騰し、ギリシャ経済は壊滅的状況に陥った。パンの価格は、一九四三年には戦前の二二○○倍、一九四四年には三四〇万倍、チーズの価格は、一九四三年には二〇〇〇倍、一九四四年には一億九三〇〇万倍にまで跳ね上がった。闇市が繁盛し、悪徳業者と対敵協力者が利益をむさぼった。多くのギリシャ人にとって、毎日を生き延びることが戦いだった。

 ギリシャ人が愛してやまない自由が失われた。彼らがなすべきことはなにか。それはもちろん、枢軸国軍に抵抗し、彼らをギリシャの地から追い出し、自由を再び手にすることだった。ギリシャ人は、占領軍に頭を垂れて従っているだけではなかった。ドイツ人は、ギリシャ人を故意に飢えさせることによって、彼らを自分たちに隷属させることを目論んだ。しかし、占領軍による収奪の残酷さと、一九四一年から四二年にかけての食糧難は、正反対の行動へと、ギリシャ人を向かわせたのである。ドイツの国家秘密警察ゲシュタポの報告によると、ギリシャ人は、フランス人やチェコ人よりも、あからさまに反ナチズムの態度を示したという。
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地球温暖化対策はこう進める

『歴史学者経営の難問を解く』より

二律背反を克服する唯一の方法=省エネ

 地球温暖化対策の実施にとっての最大のネックは、それが取り組み方によっては、「豊かさ」を求める人間の欲求と矛盾することになりかねないという問題である。そのようなケースでは、いわば「豊かさ」と「地球救済」がトレードオフの関係になる構図が成立するわけであり、この構図を突き破らない限り地球温暖化対策の本格的な進展は期待することができない。京都議定書が定めた温室効果ガス排出量削減目標の国別設定の枠組みに中国やインドなどの新興国が参加しなかったのも、目標設定が自国における「豊かさ」の実現をm害することを恐れたからであった。

 「豊かさ」と「地球救済」とのトレードオフを解消する唯一の道は、省エネルギーの推進にある。そのことは、世界の主要国・地域のGDP(国内総生産)単位当たりの1次エネルギー消費量を、2007年時点のIEA、国際エネルギー機関)のデータにもとづいて比較してみるとよくわかる。

 具体的には、国・地域ごとに石油換算した1次エネルギー消費量を、米ドル換算したGDPで除し、各国・各地域の数値を算出してみる。そうすると、省エネルギーがかなり進んでいるはずのEU(欧州連合)でも、同一規模のGDPを生み出すのに日本のI・8倍のエネルギーを消費していることがわかる。

 この倍率は、アメリカでは2・1倍、韓国とカナダでは3倍強、タイと中東では6倍強に及び、インドネシア・中国・インドでは8倍前後に達する。ロシアにいたっては、日本の16・8倍のエネルギーを使用しているのである(世界平均でもその数値は、3・1倍に達する)。

 この事実は、世界各国・各地域が日本並みの省エネルギー水準に到達すれば、「豊かさ」を維持・拡大しながら、エネルギー消費量を大幅に減らす(そのことは、温室効果ガス排出量の大幅削減をも意味する)ことができることを、雄弁に物語っている。省エネルギーの推進こそ、「豊かさ」と「地球救済」とのトレードオフを解消する唯一の道なのである。

日本で25%削減しても世界では1%強しか減らない

 ここで問題にしたいのは、そもそも、鳩山元首相が掲げたように日本が国内で温室効果ガス排出量を1990年度に比べて25%削減したとしても、地球温暖化をストップするうえでの貢献度はそれほど高くないという点である。

 それは、国別目標を掲げて温室効果ガス排出量を削減しようとする方式(いわゆる「国別アプローチ」)の限界とでも言うべき問題である。

 温室効果ガス排出量の大きな部分(世界では62%、日本では89%)を占めるのは子不ルギー起源のCO2排出量であるが、そのエネルギー起源CO2排出量の国(ないし地域)別構成比を、2007年について示したものである。この図表からわかるように、日本のCO2排出量は世界のそれの4%強を占めるにすぎない(2007年の世界のCO2排出量は290億トン、日本のCO2排出量は12億トン)。

 つまり、日本が2020年までにCO2排出量削減の25%目標を達成したとしても、それだけでは世界のCO2排出量は1%強(4%強×25%=1%強)しか減らないわけである。日本が25%目標を達成したとしても、「地球温暖化をストップするうえでの貢献度はそれほど高くない」といった理由は、ここにある。

海外でCO2を削減すれば日本はストップ温暖化の主役になれる

 それでは日本は、地球温暖化をストップするうえで、主導的な役割を果たせないのだろうか。答えは断じて「否」である。すなわち、わが国は適切なやり方を採用しさえすれば、ストップ温暖化の国際的主役ともなりうるのである。

 わが国がとるべき「適切なやり方」とは何か。本章で強調してきたように、それは、①トップランナー方式、②セクター別アプローチ、③LCAの考え方、という3つの切り札を世界に向けて発信し、海外でCO2排出量を削減することである。

 温室効果ガスの削減にとってトップランナー方式は、民生部門や業務部門で有効性が高い。一方、セクター別アプローチは、産業部門・発電部門(エネルギー転換部門)・運輸部門でとくに威力を発揮する。LCAは、これらすべての部門に深くかかわり合っている。ストップ温暖化を真剣に推進するためには、これら3つの切り札を行使することがきわめて重要であり、これらを行使することによってわが国は、ストップ温暖化の国際的主役となりうるのである。
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私はコーディネーターですね

未唯へ
 コーヒーを買わなくてもいいから、来てください。話し相手になります。Iさんから。
 今日は黒でまとめています。
 75.9

夢見

 この年になって、勉強しているのかという、夢を見ました。何を意味しているのでしょうか。。

仏教への違和感

 ブログでアップした仏教をもう少し、要約できるようにします。だけど、仏教というのは違和感ですね。生まれてきた理由に対して、本当に応えてきているのか。法人組織としては理解できるけど。支配する宗教ですね。

 個人としては、非常に分かりにくい。悩みを全て、自分の中に持っていくのはいいけど、外の世界そのものを自分の中に入れ込むようにしたらどうなのか。世界は別にあって、そこに人間がいるから、我慢すればいいというのは、為政者には便利な道具です。

 イスラムのような生活の知恵を持ち込んでいない気がする。苦しいことが当たり前だから、我慢すればいいというのでは、まずいでしょう。

電子図書館の影響

 6.4.3では本から価値観でグループを作ること。そして、市民コミュニティで市民を守るということまで述べています。

 今後の世界で考えておかないといけないのは、電子図書です。いかに公平に本の情報をこなしていくのか。個人のリテラシーはさらに要求されます。自分たちのライブラリを作り出して、気付きを起こし、行動していく。そんな世界を自分の中で作り出したい。

 以前は図書館友の会レベルで納まっていたけど、今はコミュニティを超えてきます。6.5以降は先に進めます。友の会は本好きの趣味の世界と思われるので、いろいろな人が参加するには不適切です。図書館の枠を超えられない。それさえない所も多いけど。

 デジタル図書館をベースにしたときには、ソーシャルネットで一気に拡大すると同時に、個人の生活の中に入り込んでいきます。もっと強力な概念が必要です。

 特に、組織の連中をどう取り込んでいくのか、変えさせていくのか、隙間をどう狙っていくのか、隙間から拡大させるにはどうするのか。

概念を入れ込む

 デジタル図書館では様々な検索が可能になります。図書館の本だけが対象ではない。近傍系を使った多様性という概念を入れ込んでいきます。

 そこには、本の近さをどのように言葉で補っていくのか。当然、検索する人で近さが変わってきます。それをデジタルが埋めることになります。自分の概念をその中に入れ込んで、空間を再配置するかです。

 それらを咀嚼して、グループでの全体配置を決めて、グループのライブラリにしていきます。それらが社会ライブラリに変わっていきます。社会ライブラリを集めていけば、歴史ライブラリになります。それは大きな空間です。

 大きな空間でありながら、プル型を使えば、市民の手元に持ってくることができます。YouTube的な活用です。

 コミュニティを維持するためには、自分たちの概念が何かということと、新しい人が来た時に、キャッチアップできることが必要です。それによって、コミュニティが維持でき、知識をベースにした社会になります。

考えないGMの扱い

 考えない・見てないGMに教えてあげないといけない。これがスタンスです。仕事とか役割を乗り越えます。

 μテレビも一緒です。概念だけです。それを使うところに思いがないだけです。使っていくために必要な道具です。テレビでなくてもいいし、お客様からの映像をどうしていくのか、宣伝会社からの映像をどうしていくのか、は明確です。私がやることではない。全体を見ていくだけです。その上で、作らせるだけです。

 そこには、メーカーという概念はないです。パートナーはメーカーの立場から現実化していきます。そんな部分を考えない・見ないGMにとやかく言われることではない。その前に考えて、世の中を見なさい。

 コスト削減はマイナスにすることで上げようとしている。テレビでの情報提供をなくすことを考えていく。先進的な機能を否定していきます。

 先が見えてないから、とりあえず、削って、成果を上げる。先につながる削りではない。次期のネットワークは先が見えるように、削っています。

全体のコーディネーター

 そういう連中は早く、どきなさい。といっても、名古屋には人がいない。もっと、違いところから持ってくるしかない。全体のコーディネーターとしては。

 総企ではないけど、私の役割はコーディネーターのようです。権限はないです。思いだけです。それと自分の内なる世界と言う概念だけです。

 自分の内なる世界という思いがないと、コーディネーターはできない。なぜ、そこまで入ってくるのかという人に一つずつ対応はできません。全体として、こういう社会を作り上げていく。それに対して、協力できるかどうかです。それをやらないなら、この世界を潰すだけです

 まあ、モーゼの十戒みたいなものです。
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