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環境問題を解決するには?

104『100の思考実験』より

家業の成功には大きな代償を伴うことを、グリーン家の人たちは思い知った。田舎で農業を営む彼らの家屋は、生活の場であると同時に、仕事の場でもあった。しかし、商売の利益が順調に上がる一方、屋内で使う重機の振動のせいで、屋根や壁が少しずつ傷んできた。このまま商売を続けていたら、五年で傷みが進んで建物は危険になり、住めなくなってしまうだろう。かといって、新たに家屋を建てたり、必要な修理を施したり、構造を補強したりする金銭的余裕はなかった。

グリーン夫妻は子どもたちのために家を守ろうと決めた。だから、生産量を落として、これ以上傷みがひどくならないようにした。

一〇年後、夫妻は亡くなり、子どもたちが遺産を相続した。けれども、農家の建物はばらばらに崩れつつあった。やってきた建設業者は首を横に振り、きちんと建てなおすにはI〇〇万ポンドかかると言った。以前から会社で経理の仕事をしていた末の弟は、顔をしかめ、両手で頭を抱えた。

「もし建物のことを気にせずフル稼働で生産を続けていれば、建てなおせるだけの資金を、五年前には稼げていたはずなのに。一〇年間も生産量を落としていたせいで、僕たちの資産はなくなってしまったよ」

両親は資産を残そうとした。それなのに実際は台なしにしてしまった。  ビョルンーロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』山形浩生訳/文蘇春秋/二〇〇三年

この思考実験は、商売の将来予測に関する教訓としてだけ受け取ることもできる。けれども、もっと大きな懸念、つまり、現在わたしたちが直面している環境危機にどう対処するか、という深刻なジレンマに置き換えてみると、さらに興味深い。

気候変動を考えてみよう。専門家たちは、現在、気候変動が起きていて、おそらくその原因は人間だろうという。しかし、それを完全に阻止するために、わたしたちが今、実際に採りうる手だてはない。たとえば、京都議定書を実行しても、温暖化を六年ほど遅らせることしかできないだろう。それなのに、アメリカ合衆国が議定書を履行するのにかかる費用だけでも、世界中の人すべてに清潔な飲料水を供給できる額に匹敵する。だから、履行する価値があるかどうか、問うてみなければならない。

大事なのは、京都議定書がなくても、アメリカが実際に清潔な水を供給するかどうかということではなく、これがグリーンー家の状況と相似形だということだ。わたしたちが経済的成長を犠牲にして、いずれ必要な処置をただ遅らせたせいで、将来の世代は、自分たちの受け継ぐ問題を解決するために必要な資金を失ってしまう、という状況に行きつくのではないだろうか? 地球温暖化の問題を先延ばしにしたため、やがてその影響があらわれはじめたときに、対処する十分な備えがなくなってしまうのなら、先延ばしは得策ではないだろう。

だからといって、地球温暖化に関して何もしなくていいと言っているのではない。指摘すべきは、自分たちの行動が効果的かどうか、そして、不用意にものどとを悪化させていないかどうかを確かめなければならない、ということだ。そのためには、環境破壊の拡がりだけでなく将来の世代がそれに対処する能力をも考慮に入れる必要がある。環境保護運動家たちの多くは犠牲を払ってでも環境破壊を食いとめようとしているが、これは、グリーンー家が、犠牲を払ってでも家屋の損壊を最小限にとどめようとした戦略と同じくらい近視眼的だ。
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移動の豊かさを見直させる交通システム

601.1『国土の未来』より 「魅力のかなめ、都市交通」

〈フィンランドのエスポにはノキアの本社がある。一回目はそこへ行き、二回目は環境学習設備と図書館併設のスーパーマーケットに行った。自転車道は見当たらなかった)

人にやさしい低速の交通

 中心市街地の活性化のためにLRT(Light Rail Transit)を整備し、都心部にトランジットモールを導入する事例が諸外国で多くなされてきた。古くは一九八〇年前後より整備され、カナダのカルガリーなどを初期の例として挙げられる。その後もLRTは、ポートランド、サンノゼ、デンバー、ダラス、ソルトレイクシティなど米国の数多くの都市で導入され、一部はトランジットモールに似た形状で、都心部の魅力向上に一定の貢献をしてきた。また、欧州でも特に近年フランスを中心にLRT等を活用した都心再生が各地で進行している。

 わが国では未だにLRTを用いた新たな都心空間整備は進んでいないが、最近になって、前橋のコミュニティバスを運行させたトランジットモールなどバスによるトランジットモール化か、実験を含めれば増えている。乗り物と人とが空間を共有し共存する考え方は、ゆったりとした買い物や移動を楽しめる空間として、都心部の活気を取り戻すことに貢献する期待が大きいが、同時に一般車両を締め出すことへの抵抗感も相変わらず強い。また、鉄道の事業としての捉え方に、欧米と日本で隔たりがあり、わが国で新たに鉄軌道を敷設する取り組みは容易ではない。

 更にゆったりとした移動を支える乗り物には人力自転車がある。これらが都市の中心に佇む風景が先進国でも見られるようになった。シクロは開発途上国で衰退の一途をたどり都市の発展とともに表舞台から消えているが、先進国では珍しさも手伝って、環境にやさしい究極の乗り物との謳い文句もあり、スポンサーをつけて運行するNPOなどが現れている。わが国でも京都、東京、松本などでは、デュッセルドルフ、ベルリンなどで運行が始まった電動アシストの三輪車を輸入して運行している。低速で周遊するに相応しい町並みや観光資源の点在が必要になるが、まだ各地で増えそうな勢いである。

 一方、自転車のネットワークづくりも見直されている。フィンランドのエスポでは、長い年月をかけて自転車ネットワークの整備が進められている。森の都市に相応しい自然道のネットワークと幹線道路に沿った自転車道などが豊かに密度高く配置されている。ネットワークとしての自転車道は途中でいきなり途切れることはなく、必ずどこかにつながっている。これがネットワークのあり方だと再確認できるような形状が徐々に用地を手当てしながら延伸されている。海辺に面する住宅へも地道な説得によって土地売却の合意を得て、あるいは企業の協力を得て、海辺をつなぐネットワークも整備し続けている。このように長期の計画に基づく地道な魅力づくりは、わが国の地方都市でも一層進められるべきだろう。

公共交通による都市の魅力向上

 ITSが本格化すれば、自家用車の使いやすさや安全性が格段に向上すると思われるが、同時にバスなど公共交通の利便性、安全性、定時性なども改善されるだろう。それらも都市の魅力を高めることに貢献する。新しい交通システムが都市の魅力を形成する姿は古くから都市づくりで採用されてきた手法ではあるが、今後は鉄道などの大量輸送機関が存在する魅力とは別に、よりパーソナルでコンパクトな交通システムを、個々のニーズに合致するように提供する姿が都市の魅力になるのではなかろうか。

 オンデマンドでルーティングを行うバスとタクシーの中間のパラトランジットシステムも、予約や課金の最先端技術と都市に溶け込む新しいデザインを伴って先進国で今後普及するかもしれない。従来、鉄軌道を前提に整備が行われてきたLRTシステムも、最近では同様な輸送量をガイドに沿って走行するゴムタイヤ式の車両が提供できるようになり、旧来のトロリーバスやLRTの境界も曖昧になっていて、今後の発展が期待される。

 シアトルなどでは将来のLRT整備を前提に、都心部のトンネルを先行的に建設し、その中を都心部は電気、郊外部はディーゼル機関で走行するデュアルモード式のトロリーバスが走っている。しかし、ITSの進歩に伴ってバスの輸送効率を増やせれば、バスには端末部を面的にカバーする利点があることから、LRTシステムに置き換えるメリットは減少するかもしれない。先のカルガリーではトランジットモール区間を鉄道車両とバスとが混在するが、シアトルでもそのように活用するかもしれない。あるいは新システムを考えることになるかもしれない。技術進歩に伴ってインフラストラクチャの使い方を変えることは当然であるが、都市公共交通システムは都市の魅力向上にとって欠かすことの出来ない要素であり、その開発動向には今後も引き続き注目する必要がある。

 なお、公共交通機関の採算性確保が困難な都市も多く、採算性と必要性とを地域で再度問い直す必要も増している。企業会計として採算を重視する前に、消防、警察、医療、教育などと同列で、公共交通サービスを利用者と納税者が負担し育てることに納得出来るかが一つの論点である。そうであれば、イギリスやフィンランドなどのフランチャイズ方式のように、一定条件のサービス提供を低価格で入札した民間会社に任せ、地方政府の支出削減に貢献する都市も増すことになるが、通常の運行時の安全確保やテロ防犯対策など、公共交通を取り巻く利用者の安全安心の課題が一層重視され、コスト構造を変えることも予想される。
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世界と個人の関係

未唯へ

 全てを考えるという夢を見ていた。

 今日の6時の気温は0℃です。北極圏仕様で行きます。いつになった、軽装になれるのか。どこが温暖かなのか。レジ袋有料化の効果が出ているのか。

 サークルKはおでんをなくしました。昨日は50円/本で片付けていました。季節はそれを裏切っています。本当に寒い。

ナチと私の違い

 ヒットラーも自分の中に世界を入れ込んでいた。自分の世界だから、なんでもしようとした。私の場合は違うと言えるのか。ナチズムと私の考えと何が違うのかをハッキリさせましょう。

 サファイアで考えましょう。ナチはThink Locally, Act Globallyです。個人の思いをそのまま、グローバルが行動に移した。サファイアからすると、矢印が逆になります。その部分を武力で行いました。本来は、個人の思いから、皆が行動して、全体を動かして、大きな動きになっていくものです。

 それならば、ローカルから始まる、サファイア循環そのものです。つまり、新しい民主主義です。個人の思いをローカルとして、力にしていく部分があるかどうかの差です。

 ナチは警察権力を政治的に手に入れて、無理矢理、グローバルに変えていった。思考しない市民はそれに従った。Think Locallyから行動することのプロセスを省いた。

 これは民主主義の弊害です。価値観の異なる世界で多数決は機能しない。小が大に従う理由はない。共和制ではないけど、価値観の異なる人々を押し留める方法はいくらでもある。

 同じ価値観のものでグループを作るのではなく、自分たちのグループだけで、他を排除する。

今日の予定

 今日はやることが多いです。3日分あります。29冊の本を処理しました。それを展開します。因数分解は生活編を入れ込みます。今の所、これが急務です。

 ICレコーダーの入力をしないと、ブログにつながらないし、雑記帳の記述が中途半端になります。デジタル化は徐々におこないます。12冊もあります。

図書館の借出し実績

 今週は29冊借りたけど、3月末では1300冊をやっと越える程度です。以前のように1500冊が信じられない。リーマンショック後の新刊書冊数の減少が響いています。

 今週のように、29冊借りられるのは稀です。それとブログへのアップする件数が増えていることが影響しています。その裏には去年の環境社会の考察から、政治・経済への関心がふえたことが利いています。29冊片付けるのに、日曜日一杯掛かってしまった。

フリークから図書館が変えられるか

 それにしても、週ごとの新刊書の凸凹が多すぎる。10冊未満と20冊以上が順番になっている。どんな図書館がいいのかを考えるところを組織化しましょうか。

 フリークで借りている人間も、借りる以上は次の世代に対して、役割を持たないといけない。

世界と個人の関係

 デカルトのように、二元論では、対峙する世界がどうなっているかは関係ない。単に観察するだけです。自分はどのようにして、解を求めるか。

 ウィトゲンシュタインはその世界に自分がどっぷり漬かっている感覚です。この世界をどうしようかと考える余地はない。その世界でどう生きているかです。

 仏教も同じです。いかに自分を変えていくのか。キリスト教も同様です。支配者の論理です。イスラムは少し異なります。

車はやかましいですね

 バス停に立っています。この時間は車がかなりのスピードで駆け抜けます。音がすごいです。なくなれば、この空間が全て使えます。少子化になっても生きていけます。

 一人一人の体積をこんなにでかくして、やかましくして、社会と言えるのか。車に乗りながらの地域コミュニティはムリです。降りないと始まらない。車に乗っている人間は不遜です。自分も含めて、そう感じます。

世界に関与してほしい

 多くの人が関与して、自分のこととして世界を見て、世界に関与したら、完全に変わります。そのために、自分たちがどうすればいいのかを考えれば良いだけです。今のように、世界と自分を分けていてはダメです。

 車というのは、それを邪魔するものです。自分の空間だけで、モノを考えます。

車と地域コミュニティの関係

 まず、道路というインフラがいります。それも地上の上に。免許というものもあるし、身一つで動けなくなる。事故するのは当たり前だから、保険が必要になる。生活費のなかに想定する。事故をすると見知らぬ人と関係ができてします。その上で得られるのは、移動することです。

 それなら、論理を逆にして、移動しなくても済むようにすればいいんです。コンパクトシティとかネットワークとか、手段は色々考えられます。一番の決め手は地域での移動手段の共有化です。

 人としてのつながりが持てれば、その地域での活動が主になります。コミュニティで動けば、その中で役割分担はできます。一人一人が手段を持つからややこしくなるのです。
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