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アイデアを実現するために必要な手順

『「考えるクルマ」が世界を変える』より

「地域コミュニティのシナリオに使わせてもらう。インフラなきパーソナル・モビリティは成功しない」

①個人用都市内モビリティに関心を持つ人々の間で、長期ビジョンの内容と優先順位に関して、できるかぎり広範な合意が形成されるよう尽力する必要がある。

 利害関係者としては、自動車メーカーと関連企業、運輸業者、IT企業、電気事業者およびエネルギー関連企業、不動産開発業者、都市計画家および都市環境デザイナー、規制機関、政策立案・実施機関、そしてさまざまなレベルの政治家が含まれる。利害関係者間の完全な合意は成立しないだろうが、十分な賛同が得られれば、前進のための現実的な土台となる。そのためには、さまざまな利害関係者の間で、時として対立する利害を認識し、複雑な相互依存関係を考慮し、利害と目的を調整する独創的な方法を見いだし、局所のみに焦点をあてた部分最適化を阻止せねばならない。そこから、利害関係者間の共通理解、動機づけ、集団的な意志が生まれる。

②ビジョンの達成に向け、包括的変革のロードマップを作製する必要がある。それには、主要な利害関係者をテーブルにつかせる指導力、ロードマップの詳細を詰める議論の場、そして組織面のイノベーション--とりわけ政府と民間の協力--が必要となる。ロードマップは、大がかりな変革につきもののリスクと利益を、民間と政府でいかに分かち合うかを明確にすべきである。

③ロードマップは、市場におけるティッピング・ポイントに迅速かつ最小の費用で到達することを目指して、現在および未来の「足掛かり」をつなぎあわせることにより、望ましいソリューションを実現する技術が試され、改善されるようにすべきである。最終的には市場が、新しい形のパーソナル・モビリティヘの幅広い消費者からの大量の需要を促進しなければならない。

 だが消費者は、価格が価値を上回るなら大量購入するはずがない。企業は、コストが価格を上回るなら大量販売はできない。政府は多額の補助金は出せない。変革に向けたロードマップは、こうした現実をふまえる必要がある。

 そして、技術の成熟によって究極的な価値とコスト目標が実現されるまでには、何世代にもわたる改善が必要であることを受け入れねばならない。システムがティッピングーポイントに向かって進化するにともない、各世代の消費者・製品・生産者が目標達成に必要な学習サイクルを提供する。この変革は何としても達成しなければならず、その達成に向けて、すべての利害関係者は互いを信頼し、協力する勇気を持たねばならない。

④ロードマップは、望ましい最終結果に達するためのさまざまな選択肢を含むべきである。たった一つの「特効薬」的技術や経路に賭けることは、無分別としかいいようがない。多様な選択肢のポートフォリオは、リスクと収益をバランスさせる。

 本書が提案する持続可能なパーソナルーモビリティは、きわめて説得的で有望なビジョンであるが、他の多くのビジョンと同じく、不確実性をはらんでいることも事実である。われわれは複数の選択肢を作成し、学習しながらそれらを微調整すべきである。一つの方法に固執するには、リスクが高すぎる。

⑤われわれはビジョン実現のための規格を策定し、正のネットワーク外部性を加速する方法を坦求すべきである。TCP/IPやHTTPのようなオープン・スタンダードは、インターネットとウェブの急速な成長への道を開いた。オープン・スタンダードは個人用都市内移動ンステムにも同じような効果がある。

⑥われわれは想像力と願望に頼るべきだ。この種のシステムは、潜在的なユーザーがそれを理解し、ほしがらなければ成功しない。抽象的で技術的なことを理解するのは難しく、ましてほしがることなどありえない。多様で想像力に富むデザインの探求、説得力のあるストーリー、信ぴょう性のある試作品やパイロット・プロジェクトなどが必要になるだろう。
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量子のゆらぎと人間原理

『複雑系から創造的偶然へ』より

ここ4次元の空間に似た原初宇宙は有限のプランク長で屈曲し特異性(ゆえに特徴のある点)がないので、視覚的に円に似た2次元の表面として想像することができるであろう。球の表面もまた特徴のある地点あるいは縁を持たない。ゆえに「縁なしモデル」について語ることになる。けれども原初宇宙はランダムな量子のゆらぎを通じてハイゼンベルグの不確定性原理に基づいている。ランダムな量子のゆらぎとは、実時間での爆発的な膨張がインフレ的な宇宙のモデルを支持できるようなものであって、それは相対論的な標準モデルによって穏健な膨張に従うことになっていた。したがって、この宇宙は「静止している運動要因」または創造行為も必要としないであろう。量子力学の法則によると、それはつねに虚数時間の中に存在している。それが実時間で存在するのは、それを量子力学の法則によって実現可能になる量子のゆらぎの偶然にだけに帰属させるものである。しかしながら、量子世界のランダムな事象は原則上は事前に確定するものではなく、したがって予言できるものではない。

球体表面の2次元の視覚的モデルでは、量子のゆらぎは極微の突起を持つ変形に対応している。したがって、視覚上、さまざまなデコボコがあり変形した球体の表面を可能な宇宙の初期状態として受け入れる。こうした虚数時間のなかにある可能な原初宇宙のそれぞれにもうひとつの実時間で拡張する宇宙が対応している。よって、このような原初宇宙は多数の可能性のなかから選び出される。この原初宇宙はわれわれの側にある銀河構造と惑星の諸システムの進化を許容するのである。したがって、たとえば完全に平滑な球体は除外される。なぜなら、それはまったく銀河構造を生成することができないような無制限に膨張する宇宙を導くからである。ホーキングは、マイクロ波背景放射の極微な密度振動についての予測を導出したが、それらは1992年には衛星COBEによる観察によって実証された。ゆえに、彼の原初宇宙のモデルは信頼性を高めたが、論理上正しいはずであるということが保証されたわけではない。ある仮定から真の言明が出てきたとしても、その仮定が虚偽であることは論理上あり得ることである。ホーキングが相対性理論と量子理論を統一した上位の理論から特別に選んだモデルについて説明あるいはまた導出がなされていないからである。実際、有限の多数の観察からすでにニュートン以前に検証されていたガリレオの落下法則とケブラーの惑星法則は、それらがニュートンの重力理論から数学的に導かれるようになってはじめて、強制的な妥当性を得たのである。

ホーキングの波動関数はさまざまな原初宇宙を許容し、さまざまな宇宙的発展が生成される。どの宇宙が実現されるかはあらかじめ確定していることではなく、量子のゆらぎの偶然によって決定される。しかし、あくまでも後知恵(post festum)で選ぶことができるであろう。つまり、それ自体、生命とわれわれが生きることのできる宇宙に発展するはずである。ゆえに、われわれ人間は宇宙の選択を導く基準となっている。人間を表すギリシャの言葉に従い、この判定規準は宇宙論の「人類原理」と呼ばれる。作用は原因から説明されるという物理学についての通常の思考と異なっており、この人類原理は作用から原因を導いている。しかし、ホーキングが適用する弱い定理では、人類原理は、人間と生命を宇宙的発展の目的として説明して、アリストテレスの神学的自然解釈を想起させるほど強い諸定理にまで至ることはない。とはいうものの、もしほかに物理的な理由を述べることができないようならば、人類原理のどのような形式も多かれ少なかれ困難の解決に資するのである。

もしもわれわれが平坦な宇宙に住んでいるとするならば、標準モデルは、質量とエネルギーが段々と希薄化していく無制限な膨張を予言する。星と星雲は燃え尽きて内部崩壊しブラックホールになるが、それらのホールは非物質化して蒸発しなければならない。宇宙は永久に無制限の空を拡大することになるであろう。そういうわけで、宇宙膨張は熱力学の第二法則を明らかにする。それによれば、閉じた系はある平衡状態にまで発展を遂げ、そこであらゆる秩序、構造、相関が究極的に分解してしまう。実際,拡張モデルは、エントロピーは乏しいが十分に均質的かつ等方的な原初宇宙から出発する。そこからわれわれの宇宙は膨張していくなかでエントロピーを大域的に増加させながら発展する。宇宙マイクロ波背景放射の測定によりこの原初状態が約束される。明らかに、開いた系は有限時間内に大域的なエントロピー増大の流れとは反対方向に「泳ぐ」ことができる。そして、自己組織化を通じて秩序や構造を構築することができる。そこで星が誕生し、究極的には生命も生じたのである。しかし平坦な宇宙の場合、膨張の進行とエントロピーとともに究極的には熱放射によりランダムなノイズだけが残るにすぎない。冷却していく宇宙では、「熱死」はなくて崩壊と溶解による「凍死」となるのである。
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存在と無

未唯へ

 結婚記念日のケーキは今日買っていきましょう。明日は図書館で。家に帰り着くのに6時間かかります。木曜日だから、未唯はいます。予算は3千円です。また、お金がとんでいきます。

 未唯にケーキの話をしたら、シンプルなものにしてくれということで、土曜日に豊田市で買うことにしました。結婚記念日のケーキに未唯が指示する権限があるのか。未唯が言うなら、逆らえないのは確かです。

 新しいiPadはそのうちに買うことになるでしょう。奥さんのパソコンが動かなくなったら、一台を渡さないといけない。

存在と無

 存在と無から始まりました。なぜ、皆がそれを考えないのか。無はすぐに気付くはずです。社会の片隅というロジックはおかしいです。自分が認識していないと社会がない、という部分が難しいのでしょう。デカルトではないけど、社会と自分を分けて考えてしまうのでしょう。

 神の存在がなければ、日本なら自分の存在が中心になるのは当たり前です。目をつぶればすぐわかります。ここから始まる論理にならざるを得ない。

 その意味では、数学ではなく、哲学に行っていたら、もう少し、言葉が与えられたでしょう。数学の場合は、この概念が当たり前すぎます。トポロジーならば、点があることから、空間全体ができることは自明です。全体を先に決めた時に、その中の点は無です。面積もありません。

 哲学だと、観念論とか存在などがそのまま出てきます。ウィゲンシュタインなどはそのまま、これを表現しているけど、読む方はそうは感じていない。デカルトは二元論だから、期待できません。やはり、カント辺りでしょう。そう思って、解析しています。

 数学も16世紀とか、17世紀だと、デカルト空間から始まります。トポロジーから考えないと、存在と無は難しい。点から全ての空間を作るという離れ業は当時はないです。すべて、神が支配している世界です。

 神がいない、日本人はもっと近いところにいるはずです。法然の阿弥陀仏ではないけど、それを唱えることで。自分が主役になれる。修行して、全体の中に位置付けないと、しゃべられないというものはない。

存在の無

 私の場合、存在と無から始めて、最後は存在の無にたどり着きました。社会という概念にしたときに、それが受け入れられるかどうかは知ったことではない。自分の内なる世界です。自分の内なる世界が一つになれば、存在は投げ出すカタチになります。存在が無になることで、空間を自分の中に散りいれます。

人は無関心

 この部分を人に話しても、無関心です。あなたのことなのに、私のことなのに。存在自体は少し考えれば、分かることです。すぐに、組織の中に依存しようとします。そこなら、考えなくて済みます。考えないことはダメなことです。悪です。

存在を示すもの

 存在を示すものは、その結果としての影響力です。これがアインシュタインの世界です。ブラックホールは見えない。存在が分からない。そこに光を通した時に曲がるかどうかです。

 それを歩道でやっています。私の存在を示すために、自転車相手にやっている。車は狭い所に入り込んできます。人の命の横を高速ですり抜けていきます。それだけのことを放置しておいて、社会は安定するのか。

100分で名著の仏陀

 100分で名著の仏陀が始まりました。それを寝ながら、聞いていたけど、頭に来ました。自分が中心で何が悪いのか。生まれてきた理由とか、存在とかの西洋的な概念をどう解釈させるのか。宗教は解釈です。

 100分で名著のテキストを分析します。仏陀は何が言いたいのか。あの番組は、最初のニーチェだけは良かったけど、その後はたいしたことをやっていない。もっと、真正面から向かって欲しい。

 その中でも、自分自分と言うけど、社会から見ると無だという存在ということは言っていた。なぜ、そこでロジックを止めるのか? その先がどうなるのか。その先はどうなるのか。存在と無でどういう世界を作っていくのか。

 世界を作っていくのは、社会という抽象的なものではない。個人です。人です。生まれてきたものです。法然を見ていると、そう思います。それにも関わらず、仏陀は何を考えたのか。
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