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第六軍司令官のパウルス

『人生と運命』より

第六軍司令官のパウルスをあまり頻繁に見かけることのない将軍や下士官は、大将の考えや気分に変化は起きていないと考えていた。そのふるまい、出される命令、ささいな個別的な意見であれ重大な報告であれ、それを聴く際に見せる微笑が、大将が以前同様、戦況を自分の思いどおりにしていることを証拠立てていた。

だが司令官にとくに近い人々、彼の副官のアダムス大佐と軍の参謀長のシュミット将軍だけは、スターリングラードの戦闘のあいだにどれほどパウルスが変わったかを知っていた。

彼は以前のように気のきいたしゃれを言い、寛容であることも、傲慢であることも、あるいは身内の下士官たちの生活面に親身に関わることもできていた。連隊と師団の戦闘への投入、昇進や降格の決定、勲章授与に関する署名は、以前と同じように彼の権限の下にあった。彼は自分の吸いつけの葉巻を以前と同じようにくゆらせていた……しかし、重要なもの、目に見えないもの、精神的なものは日ごとに変化してきており、最終的な変化を遂げる準備をしていた。

状況と時期を自分の力でどうとでもできるという感覚は、パウルス大将にはなくなってきていた。つい最近までは、軍司令部の偵察部の報告に目を通す時にも、落ち着いてさっと一瞥するだけだったーロシア人が何を考えはじめたかなんてどうでもいいことではないか。彼らの予備兵力の動きに意味などあるのか。

参謀長の話を聴いているパウルスは、どこか将軍らしくなかった。すわって背をかがめ、図表の欄や地図上の区画を指すシュミットの指先を追って、言われるままに忙しく頭を動かしていた。この攻勢はパウルスが考えだしたものである。パウルスがその大枠を決めたのである。しかし今、彼が一緒に働くこととなった最も優秀な参謀長のシュミットの話を聴いていても、パウルスは作戦案の具体的な細部に自分の考えを見出すことができなかった。

すべてはしかるべく進んでいた。それでいて、すべてはしかるべくは進んでいなかった。

戦闘のあったここ数週間に起きたはっきりとはしない偶然の出来事やちょっとした忌まわしい事件の中に、これまでとはまったく違った形で、喜びもなく希望もない戦争の真の本質がさらけだされようとしている、パウルスにはそう思えた。

偵察兵はソヴィエト軍が北西部に集結中と絶えず報告してきている。空爆によりソヴィエト軍を阻止する力はない。ヴァイクスはパウルス軍の両翼にドイツ軍予備兵力をもってはいない。彼はルーマニア部隊にドイツのラジオ局を設置してロシア軍を欺くことを試みている。しかし、それでルーマニア軍がドイツ軍になるわけではない。

「思いもつかない言葉だとあなたは言うのかね。スターリングラードは連絡補給の中心および重工業の中心ではなくなっている。この後われわれはここで何をするのかね。カフカス軍の北東翼は、アストラハン・カラチ線に沿って掩護することが可能だ。スターリングラードはそのためには必要ない。私は成功を信じている、シュミット。つまり、われわれはトラクターエ場を押さえる。しかし、そのことでわれわれの側翼を掩護することはできない。ロシア軍が攻撃をかけてくることを、フォン・ヴァイクスは疑っていない。はったりだけでは彼らを止められない」

粘り強くかつ断固として最後までやり抜かなかったからこそ、最も華々しい勝利が期待どおりの成果を生まなかった、不幸の原因はそこにある、パウルスにはそう思えていた。同時に、意義を失った決定を拒否することで司令官の真の力が示されると思えていた。
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数学編のコメント

未唯へ

 久しぶりの散歩です。エイデンまで歩いていきます。雨が降ってきました。

 相変わらず、道の真ん中の歩いています。この道路は高校生の時に自転車で通っていた。それ以降、全然広がらない。歩道もなければ、自転車道もない。

 何となく、身が重たい。

クラムチャウダー

 モスのクラムシャウダーは240円です。冬場はこれです。おいしい時とそうでない時が混在します。資料のチェックをしながら、1時間の休憩と近くのカップルの観察です。

カードの紛失

 マナカとスタバのカードが見当たらない。チェック付きの財布のなかに入れてあるので、なくなるはずがない。スタバのカードは支払いのあとに、ポケットに突っ込むので、スタバだけ無くなるは考えられるが、共に無くなることの想定がつかなかった。

 車の中にあるかと思って車内を探しに行ったがありません。ふと、路上を見るとカードが二枚見つかりました。2万円近かったので、助かりました。

 財布に付いている車のキーを使うために、チャックを開けて、移動しているときに落ちたみたいです。

数学編の編集時のコメント

 数学の細かいことはあまり、習っていない。微分方程式は嫌いです。数学の歴史には興味があります。トポロジーで新しい循環に入っていくということです。

 グローバルの制約を超えて、新しいローカルに入っていく。それが多様体です。それが歴史とか、社会に反映されていないのが、今の問題です。

 数学は先に行っています。ほかのものをそれにくっつけないといけない。それが歴史です。後は皆、同じかもしれません。それを一気に歴史に持っていけないので、仕事で確証してから、社会に適用して、それで歴史に持っていく、魂胆です。

ソニーのだらしなさ

 ワンセグ・ウォークマンの次のものがないです。ケータイにはまっているだけです。タブレットになってしまうのでしょう。国内のタブレットはテレビになっていくのでしょう。

 ソニーという会社の製品を使ってきたけど、方向が掴めない。ICレコーダーは歴代10台を使ってきた。ICレコーダー、ウォークマンがありながら、コンテンツがつながらない。中途半端なガラパゴスです。

 私が気に入ったものは、大体なくなります。なぜでしょうか。皆がミーハーになり、ソニーがそれを真似する方向に動くからです。自分の電子ライブラリーを作り、それをつなげていく方が、地域の活性化につながっていく。

 ローカルでやることを否定しているのです。ワンセグにしても、映像を個人が持つことで、情報を主張できるのです。

 金にならないとやらないとやらないという、ソニーになってしまったんです。もっと、市民に接して、動けるようにしていくのが、本来のソニーの仕事です。
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