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現代のギリシャ

『物語 近現代ギリシャの歴史』より

増大する国の借金

 パパソドレウ政権は、これらの政策を実行に移すための財源を、ECからの資金だけでなく、四方八方から借金することで賄っていた。PASOKの言う「特権なき人々」のための社会主義的政策とは、豊かな者の富を、貧しい者に配分するのではなく、すべてを借金によって賄おうとするものであった。一九八〇年に八・一%だった公共部門借入需要(PSBR)が、一九八五年には、一七%にまで上昇した。一九八九年には、ギリシャの国内総生産(GDP)の四・五%が、ECからの資金によるものだった。

 非効率な公務員・官僚制度を改革することも、PASOKの掲げた政策のひとつだった。能力主義にもとづいた、平等に選抜された人材による、能率的で専門的な職場とすることが目指されなければならなかった。しかし、実際は、公務員職と国営企業こそが、PASOKと選挙民の間に「パトロン・クライアソト関係」を生じさせる最大の温床となった。PASOKが政権を掌握する以前にも、政治家が、選挙民にたいし、投票する見返りとして、公的機関や国営企業の職を与えるといった行為はみられた。しかし、それはあくまで政治家個人と選挙民との関係だった。PASOKは、それを政党レヴェルでおこなうようになったのである。公務員職や国営企業は、党に忠実な人々で満たされた。この共犯関係は、結果的には党と国そのものの首を絞めることになった。党は、次の選挙にむけて、選挙民の飽くことをしらない要求-賃上げ、労働時間短縮、福利厚生の充実などーを受け入れ続けなければならなかったからである。さらには、赤字国営企業の民営化といった産業構造改革への取り組みを遅らせ、ギリシャ経済の市場での競争力強化を怠ったのである。

 悪化する財政に対して、一九八五年一〇月から約二年間にわたり、PASOKは国民経済相の陣頭指揮のもと、通貨ドラクマの一五%切り下げ、借入縮小、金融引き締めを実施した。その結果、賃金は著しく低下したものの、営業収益性は過去数年来初めて上昇した。GDPに占めるPSBRの割合は、八五年の一八%から八七年には一二%に、経常赤字も八%から二%に減少した。インフレ率も二〇%から一六%に低下した。しかし、PASOKの政策転換への人々の不満を察知したパパソドレウは、シミティスを罷免した。PASOKは再び、借金をして濫費する政策へと回帰したのである。

 一九八〇年代末には、ギリシャはGDPで、EC加盟国のアイルランドとポルトガルを下回った。EC委員会や国際通貨基金(IMF)、経済協力開発機構(OECD)はギリシャに警告を発した。そのどれもが、ギリシャ経済は、低投資、成長不振、国庫補助金への依存、赤字財政、高インフレ、そして金融逼迫の悪循環から逃れられないでいると指摘していた。 一九九〇年から三年間は、NDが政権を担当した。だが、「特権なき人々」の政治と称して、国民に迎合したPASOK政権の負の遺産は容易には消え去らなかった。NDの政策が、独自色を出せなかったことにも問題があった。実際、PASOKとNDの政策に大きな違いはなかった。そのような状況において、人々にとって重要だったのは、どちらの政党が、自分たちをより「甘やかして」くれるかということだった。どちらの政党が、白分たちによりよい職場を、よりよい給与を、よりよい年金を与えてくれるか、税の徴収に厳格でないか、ということが大きな関心事となった。NDもPASOKの民衆迎合主義の前例に追従した。九三年、EUが成立する直前には、再びPASOKが政権をとった。選挙が終わり、政権が変わるたびに、公共部門の規模が拡大していった。

 一九九六年、パパソドレウが死去した。国を借金漬けにし、晩年は女性スキャンダルで世間を騒がせたにもかかわらず、国民は、大きな悲しみをもって彼の死を迎えた。葬儀当日の模様はテレビ中継された。アソドレアスのカリスマ性は健在で、最後まで派手な人生だった。その二年後の九八年、カラマソリスは、静かに息をひきとった。

経済危機

 かつて、パパソドレウに罷免されたシミティスが次に首相となった。ひとつひとつの問題に対して具体的な解決策を見出すという姿勢から、彼は「会計士」とあだ名されていた。彼は、PASOK内で決して人気が高かったわけではない。しかし、深まる財政危機を前に、彼以外に政権を任せられない状況になっていたのである。親EU派を自認するシミティスは、「変革」ではなく、「近代化」をかかげて、党内の反対意見を抑え込みつつ、欧州共通通貨ユーロ導入にむけて、国家財政の立て直しに取り組んだ。一九九三年には、GDPの一二%を占めた財政赤字が、二〇〇〇年には一%まで低下した。この数字を基準に、ギリシャは、他のEU加盟国から二年遅れの二〇〇一年一月、欧州単一通貨ユーロを導入した。この一%という数字が、じつは「粉飾」であることが、のちに明らかとなる。

 二〇〇一年春、シミティスは、国の財政を圧迫していた年金制度の改革--減額と受給に必要とされる就労年数の増加-を提案した。四月二六日、アテネだけでなく多くの都市で、改革に反対するストライキがおこった。一九七四年の軍事政権崩壊以後、もっとも大規模なストライキだった。国民の反発の前に、シミティスの改革は挫折した。ユーロ圏に加盟したことで満足したのか、シミティスの改革への意志は消散してしまったかのようだった。○四年、シミティスはPASOK党首の座を辞した。アソドレアスの息子がそれを引き継いだ。

 二〇〇四年三月の選挙では、NDが政権を奪回した。一九九七年からNDの党首をつとめていたカラマンリスの甥コスタスーアレクサソドロスーカラマソリスが首相の座に就いた。同年八月、アテネでオリソピックが開催された。一八九六年にアテネで第一回近代オリンピックがおこなわれてから、一〇八年の歳月が流れていた。

 二〇〇九年一〇月、PASOKが政権を奪回した。その直後、首相。ペ(ソドレゥは、前政権NDがゥソをついていたことを公けにした。二〇〇九年の財政赤字の見通しをGDPの三・七%としていたのが、実際は、こ丁七%と見積もられることが明らかとなった。政府債務残高は、二〇一〇年には、対GDP比の一二I%にまで膨らむことになると発表された。

 このギリシャの財政危機の表面化が、ューロ圏に経済危機をもたらしただけでなく、日本を含めた世界の経済の動向に大きな影を落としたのである。
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簡潔な表現で未唯「空間」

未唯へ

 何となく、頭がもやっとしています。花粉の性なのでしょう。眠りが浅くて、夢が連続しています。

 持ち物を本当に少ないですね。自分の全てが記述されているシートとカード型のICレコーダとペンだけです。時計として使っていたケータイとメモ帳はなくしました。

 金曜日だから、趣を変えて、フレンチトーストとトールラテにしました。いつものバリスタが居なかったから、反応が薄かった。

本・図書館編の先

 6.8は冴えないですね。ピンと来ません。焼き直しになっています。ライブラリが全てを支配するようなコンセプトにしましょう。

生活編の因数分解

 生活編に入りました。言葉をさらに短くします。「他人の存在が信じられない」を「他人の存在」だけにします。自分のことだから、いくらでも圧縮できます。心の中の分析です。

 「初恋の女性と夜汽車で寄り添う」はロマンチストにあります。ここも「夜汽車」だけです。それでイメージできます。イメージで展開していくしかない。

簡潔な表現の意味

 簡潔すれば、するほど、人から見たら、分からないでしょうね。その代わりに空間が広がります。簡潔にした文字と論理を合わせると、人生の縮図です。ダイアログです。

 例えば、「未唯」=「数学者」⇔「動物病院」→「未唯への手紙」を言葉にすると、「結婚前に未唯という名前に決め、数学者になった時に活動できるようにしようとした。だけど、彼女は動物病院の看護婦さんになってしまった。だから、私は未唯への手紙を分析することにした」

 完全に暗号の世界です。これを広げていけばいい。記号一つでいくらでもバリエーションができる。ゲームとしては面白いですね。人が作ったゲームよりも自分のゲームをすればいいのに。そうすれば、自分が何を考えているかが分かってくる。

 これだけ、文章を書いて、さまざまな表現を使ってくると、そう思いたくなります。「てにをは」とか順番はいくらでも変えられます。文章と言うのはそういうことです。ロジックが重要です。

ブログ作成が遅れている

 明日、また本が入ってくるから、それまでに雑記帳の内容をブログにアップして置きます。全ては必要ない。観点があるものにします。ブログには敢えて、観点は書いていません。自分なら分かるから。

ブルバキは記号だらけ

 大学に入った時に、フランスの数学集団のブルバキを知って、ビックリした。言葉を使わずに、数式と関係だけを使って、概念を表して、真理を探究しようとしていた。

 ブルバキの「数学史」は3500円した。2日間のアルバイトをして、買い込んだ。数式で書くだけなら、世界共有です。これは真理とつながる。ベースとなる、イメージが異なれば、異なる答が出てくるのは、私のやり方はブルバキを超えている。

未唯「空間」を作る

 単語にしておけば、単語でお題とつながります。お題で内容が記述できます。未唯「空間」の本当の意味は、空間を作り出すことです。7つのジャンルを超えた世界を作り出します。

 これだけの空間を理解させるには、更なる技術が必要です。これをまとめていきます。プレゼンで一部分だけ分かった気になるのでなく、全体の空間から入れるようにしておきましょう。

 文章を単純にした時の良さは言い切りです。割り切りです。そこからイメージを作り出します。

 入試問題で、以下の単語を使って、歴史的な事実を述べよ、そんな感じですね。完璧に教科書の文章を覚えるには限界があります。歴史を論理とか、因果関係で掴まえる人が高得点です。答は百人いたら。百通りあります。

Lispを使っていた

 研究開発部署で、人工知能を行っていた時は、Lispとかフレームとかチェーンを使っていた。これらも考えたい。

 LispはECUの挙動解析で使いました。その時には中野さんがいたので、頼みました。色々なアイデアを出してくれた。期待に応えてくれた。原因と結果をつなぎ合わせることを行ってもらった。システム部署にLispのエキスパートがいたので、フレームを頼みました。

 最終的に人工知能で、未唯空間の解析を行えることもありかなと思います。

時差ぼけ

 奥さんはハワイから帰ったら、そのまま、九州のおばさんの所に行くみたいです。時差ぼけしている暇はないと言ってました。

 私は飛行機の中では寝ることはありません。だから、現地でも、日本でも時差ぼけはしません。アテネに行った時は、姪夫婦に案内してもらって、夜遅くにアテネの夜景が見える丘を登りました。完全に睡眠不足で動けなかった。姪の旦那に手伝って、頂上に着いたが、ほとんど寝ていた。
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