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サファイア循環は答への手順

サファイア循環は手順を示す

 元々、サファイア循環がそういうことになっています。ローカルで考えるかグローバルで考えるかで出発点が異なります。そこから回って、次の循環まで行くのかが、サファイアで示していることです。その意味では手順です。

 グローバルの企画部分が機能しないときは、ローカルから考えていくしかない。そこからグローバルを生かしていく。そんな単純な論理です。それができていない。この会社もどこから手をつけたらいいのか分からない状態です。変えるということはそういうことなんでしょう。単純なんです。そうしないとダメだという危機感をどう持つかということと、その先にどんな夢を持てるか。

地下鉄の風景

 地下鉄から地上に出たとたんに揺れが激しくて、記述ができない。

 電車の中で英会話教室です。これ見よがしに、話し続けている。バスと異なり、風景が変わっていきます。英会話は立っていないと成立しないのか。席が空いているけど、座ることはない。外人が降りていったら、女性は静かになった。変な感じです。なんか寂しい。

 電車はドアを開けると寒いです。風が吹きわたります。人の心理が読めるだけ、疲れます。

未唯空間のボード

 未唯空間のボードは小さいのがありました。携帯用はこれにします。黄色ということと、幅が狭いので、他の百均でも探します。この黄色いボードで未唯空間仕事編の因数分解です。

 ボードの幅が足りないので、左に寄せて、書きます。

寒いので、スタバでエクストラホット

 豊田市は風が強くて、寒い。春ではない。フードが欲しい。またしても、スタバです。バリスタで、先生志望のベテランはいつまでなのでしょう。新人教育を行っていた。
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海洋帝国への道を開いたフィリピン領有

『大日本帝国の興亡』より

海のフロンティア

 情況が緊迫したのは一八九八年である。二月十五日、キューバの(バナ港に停泊中のアメリカ戦艦「メイン」号が爆発事故により沈没した。乗組員三五〇人のうち二六〇人の命を奪ったこの事故は、原因が究明されないまま、新聞はこぞってスペインの仕業と決めつけた。ここにキューバを救うという大義名分が整った。そして、「メイン号を忘れるな」という、どこかで聞いたことのあるスローガンが好戦気分を煽ると、国民はいっせいに開戦を支持した。

 二月二十五日、ローズヴェルト海軍次官はデューイ提督に、太平洋の彼方、フィリピンに艦隊を送るよう指令した。海軍長官ロングの留守中だったが、退役間近のロングに代わって海軍省の実権を掌握していたのはローズヴェルトであり、彼こそが二十世紀、アメリカを海洋帝国へと導く立役者となるのである。

 このときローズヴェルトの脳裏にあったのは、アルフレッド・T・マハンが『海上権力史論』(一八九〇年)で提唱した、海軍拡張と植民地獲得だった。マ(ンは開戦の前年、「アメリカ人はいまや目を外に向けなければならない。アメリカの発展する生産力と国民感情はそれを要求している」とより直截に訴え、かつて海軍大学で教えた士官たちを共鳴させていた。ローズヴェルトらは米西戦争を、マハンの理論を実践する絶好の機会ととらえたのである。

 奇しくも『海上権力史論』が出版されたこの年、国勢調査は「フロンティアこツインの消滅」を告げていた。「明白なる宿命」と自ら正当化した西漸運動(西部開拓)の終焉宣言である。『アメリカ史におけるフロンティアの意義』(フレデリック・J・ターナー、一八九三年)には、これからは「海のフロンティア」への膨張、すなわち海外市場の拡大の時代で、とりわけ東洋への膨張が唱えられていた。それはまさに〝太平洋上での西進〟にほかならなかった。

アメリカ帝国主義の登場

 ところで、アメリカは米西戦争のさなかの一八九八年六月、(ワイを併合していた。一八二〇年代以降、(ワイ王国へはアメリカ人が砂糖・パイナップル事業に進出し、一八九〇年頃には支配下に収めていた。一八九一年、リリウオカラニが女王となり、「ハワイ人のためのハワイ」を唱えると、アメリカ人農場主の問に動揺が広がった。一八九三年一月、彼らはオアフ島のホノルル港に停泊中の巡洋艦から海兵隊を上陸させて王朝を崩壊させ(ハワイ革命)、二年後には女王を廃位させた。

 ハワイ併合を求める声が高まるなか、クリーヴランド大統領(民主党)が渋ったため、ハワイ共和国の状態が続いていた。しかし米西戦争が始まって、フィリピンヘの中継基地としてその戦略的重要性が認識され、マッキンレー大統領と議会は併合を決断したのである。

 太平洋からスペイン勢力をほぽ駆逐したアメリカが東アジア国際政治の舞台で脚光を浴びたのは、一九〇〇年の北清事変であった。列強の清国進出に反発して蜂起した義和団は勢力を拡大し、ついに六月、日本を含む八か国連合軍と天津・北京で戦闘を交えた。

 それまで清朝は、列国公使団の要求に応じて、義和団の鎮静化に努めるそぶりを見せていたが、義和団が北京の各国公使館を包囲すると、八か国に宣戦布告した。だが、連合軍が天津を制圧し、北京に迫ると、清朝はたまらず、北洋大臣李鴻章に停戦交渉を命じた。一九〇一年九月、出兵しなかったベルギー・オランダースペインを加えた一一か国との間で調印された北京議定書は、多額の賠償金もさることながら、経済的自由を列強側に奪われたことで、清国の半植民地化はさらに深刻化した。

 アメリカは、海外市場への関心だけでなく、領土的にも政治的にも、列強に伍す地位を占めることとなった。この争乱のさなか、ヘイ国務長官は「門戸開放」を宣言し、列国に清国の門戸開放・機会均等・領土保全(ヘイの三原則)を承認させていた。アメリカは、後れをとっていた中国市場への割りこみに成功しただけでなく、東アジア国際政治の舞台でいつしか主導権を握っていたのである。

 北清事変に際し、八か国連合軍の総数は約二万。主力をなしたのは日本・ロシア・イギリスだが、アメリカもフィリピンから約三〇〇〇を派兵した。アメリカがこれほどの兵を派遣できたのは、前年に軍隊を七万に増員していたからだった。

新たな“征服者”

 一八九六年以来、フィリピンでもスペインからの独立の動きがあり、米西戦争に際してアメリカは、革命軍に対して、領土的野心はないと語っていた。ところがマニラ占領後、アメリカ軍は彼らの入城を拒み、一八九九年二月、ついに両軍は交戦状態に入ったのである。

 米比戦争(アメリカは正規の戦争と認めず、「フィリピン反乱」と呼称する)は、米西戦争、とりわけフィリピン領有の〝落とし子〟であった。アメリカがスベインに代わってフィリピンの〝征服者〟とならなければ、けっして生じることはなかったからである。アメリカが東アジアで「門戸開放」外交を展開できるようになったのも、さかのぼればここにたどり着く。

 フィリピンおよびグアムの領有は、アメリカ帝国主義の東アジアヘの公然たる登場にほかならない。それはまさに、海外植民地帝国の仲間として認められた国のみが入会を許される〝東アジア倶楽部〟の会員証であった。
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本を本たらしめるもの

『それでも、読書をやめない理由』より

二〇一〇年早春、ある日の朝食の席で、女友達がiPadをみせてくれた。それは四月のことで、iPadが世に出てまだ一、二週間しかたっていなかった。評判通り、アップル社は売上が大きくのびていると発表していたが、わたしにはそれらが実社会になんらかの影響を与えているようには思えなかった。電子書籍リーダーをめぐる謎のひとつは、普段の暮らしではめったにお目にかかれない、ということだ。統計データは知っている。それが巻き起こした熱狂も知っている。だが、実際に電子書籍リーダーが使われているのをみた回数を数えるには、両手の指で足りる。ひとつには、わたしがロサンゼルスに住んでいるということが関係しているのかもしれない。ディディオンも述べていたように、この街では「たいてい、一日の大半を(中略)ひとりで車の運転をして、いくつもの通りを走り抜ける。それらの通りは運転手にとってなんの意味も持たない。だからこそ、ロサンゼルスという街はある種の人々を陽気にし、また別の人々を漠とした不安で満たす」。この街で優先されるのは私的な空間であって、公的な空間ではない。わたしはめったにバスや地下鉄に乗らないし、子どもたちが大きくなった今、公園へもほとんどいかない。いきおい、偶然面白いものに出くわす機会は、ニューヨークのような伝統ある街と比べれば少なくなる。だが、大勢の人々がいあわせる場でも、電子書籍リーダーを目にする機会はたいして多くないような気がする。飛行機に乗るとき、発着ロビーや機内でいくつかみかけることもある。だが、その数はわずかで、思ったよりずっと少ない。最近、一週間ほどパーム・スプリングズで過ごしたときには、プールサイドに座っていた女性がキンドルで読書しているところをみた。バーンズ&ノーブル社のヌークもソニーのリーダーも、店頭に並んだモデルを除けば一度もみたことがない。iPadも、友人がそれを取り出して使い方を実演してくれるまで、アップルストア以外の場所で実物をみたことはなかった。これら一連の事実は、ある種の断絶がなお存在することを示している。文化が現に存在している場所とその目的地とのあいだにある断絶。それに、読書の未来を決定するかにみえる機器と、現在時制においてわたしたちがそれらをどれだけ使用するかという問題とのあいだにある断絶。

とはいいながら、しまいには、わたしもiPadのとりこになってしまった。結局のところ、わたしは技術革新反対主義者ではないからだ。自分のiPadを気に入っているし、ブラックベリーも気に入っているし、テクノロジーが与えてくれる無限に広がる可能性も気に入っている。夢中になりすぎて自分を見失わないかぎりは。その朝食の席で、わたしは友人のiPadでマーベル・コミック社製のアプリを開き、『X-メン』のページをスクロールしてみた。デジタル画像の絵の鮮明さにはほれぼれした。それぞれの絵を拡大し、ストーリーを一コマずつ追っていく。映画をみているともコミック本を読んでいるともつかない、どこかアニメーションをみているような感じだった。次に友人は、iBook版のA・A・ミルン作『クマのプーさん』をみせてくれた。体験用に初めからインストールされていたものだ。タッチパネルを軽くなでては物語を読み進めながら、わたしは初めて電子書籍というものを体験した。それは、本にそっくりだった。ページ番号が振られ、絵があり、各ページを通じて統一されたデザインヘの配慮もある。わたしは、その少し前からキンドルを持っていた。だが、めったに使わなかった。画面の使い勝手がよくないのだ。わたしは紙の上で考える。ディスプレイの上で考えるのではない。本を物として、また工芸品として考えることが好きだ。読書を三次元的で手で触れられる体験として。考えることが好きなのだ。そのような体験においては、テクストの見た目や手触りや匂いさえもが、わたしの夢中の度合いに、あるいは夢中になれるかどうかに影響してくる。
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