日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

3枚当たる

2019年01月21日 | 生活・ニュース
   昨年は1万枚に1本という高い確率の2等があった年賀状のお年玉、今年も入念にチェックしたが100枚に3本の切手シートが3枚当たった。確率の半分、今年の運勢を図るには大げさだが、1枚の年に比べれば3倍のあたり、そう思うことにしよう。年賀はがき関連で、「送る人にも福来る」としてハガキ購入時に受け取った抽せん券と年賀切手はどれも当たらずで終わった。

 今年は平成から5月に新元号になる。特別な年としてダブルチャンスがあるという。その抽選日は郵政記念日の4月20日、賞品は切手コレクターにはたまらない逸品になるらしい。その賞は500円切手2枚だがシリアルナンバー入りの特別仕様で当選は1万本という。これは平成最後の記念切手になる。デザインは富士山という、どんな富士山になるのだろう。期待して待とう。

 当り番号を確認しながら賀状を読み直す。賀状は今年限り、という新しい知らせが何通かある。それぞれの事情がしたためられているが、高齢から派生する内容が多い。いつか分からないが自分にもその時が必ず来るだろう。その時、賀状できちんと折り目が付けれればいいが、長年のご厚誼に感謝の字面を見ながら思う。

 「お年玉付き年賀はがき」は昭和24年から、郵政職員だった父は知り合い宅を回り販売していた。今もその名残かJP職員には厳しい販売ノルマがあるという。SNSに押され売れ方は芳しくない。私は知人の職員を通じて購入しているが、その枚数は現役の頃に比べ3割近く減った。当然お年玉の当たる枚数も減ることになり3枚当たれば上出来かもと思いなおす。  
 
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カメラの解決力

2019年01月20日 | 生活・ニュース

 配りものをするため同じ町内を歩いていた。これまで気づかなかったなかったのかもしれないが「防犯カメラ作動中」の表示が玄関ドアに張ってある。それはかなりの大きさで目につく。何もしていないが一瞬「エッ」と思った。何かあったのかなと思いながら隣へ、そこも「防犯カメラ作動中」の表示が貼ってある。人通りはそれほどない裏道で、その威力はあるかもしれない。

 最近の事件や事故の報道ではこうした防犯カメラやドライブレコーダーが事件や事故の解決に重宝な情報を提供している。あたかも捜査の一員のような働きに思える。ハロウインの渋谷の4万人の群衆の中から軽トラを横転させた犯人捜査は防犯カメラの解析からという。

 ドライブレコーダー、最近はドラレコというそうだが、取り付けた知人は「ドラレコ録画中」の表示をつけたとたんに接近車両 が少なくなったと書いている。大型店の天井付近には監視と防犯を兼ねたそれが作動中ですの表示がある。問題の解決だけでなく事件事故発生の予防的力も備わっている。

 松本清張の小説での事件捜査は刑事の足が解決の基本になっている。例えば防犯カメラの代わりの目撃者捜し、歩いて歩いて探し出すが、今は映像解析で済む。清張は電話や電報で情報や連絡を取り合った。今ならスマホにパソコンと座って出来る、清張はどう創作するのだろう。いたるところで監視されているのを知らないだけかもしれない、何もしていないが恐いことと思う。
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餌は豊富なの

2019年01月19日 | 自然 季節

 この冬、野鳥の餌が野山にふんだんにあるのかな、と思っている。例年の様に輪切りにしたミカンを庭の木に挿して野鳥、特にメジロがやって来るのを待っていた。初日、来訪は無くミカンは無傷で残った。二日目、メジロは来たが1羽だけ。これまでは2羽が連れ立っていたのに、と思いながらガラス戸超しに見る。戸に近づこうと動いたとたんに飛び去った。

 しばらくしてまた1羽やって来た。大きさなどから飛び去ったと同じメジロだろう。動きを見せないよう細心の注意をしながらデジカメをむける。数枚撮らせてくれたところで飛び去った。夕方餌にしたミカンを確かめると、2日目の来訪は見かけたときだけのようだ。それでも撮れただけ幸い。

 3日目、ヒヨに似ているが少し小型の鳥が来る。ミカンの周囲の木に止まり警戒そうに周囲を見回しながら近づく。ミカンに1㍍にも足らないところまで寄ってきたが、飛び去る。これを何度か繰り返すが、ミカンを口にしない。メジロとヒヨが競うようにやって来たこれまでと違う様子に、訳を聞いてみたいが思うだけのこと。

 口にはしないのは、もしかしてミカンが美味しくないと見えるのか、いや、そんなことは無い。私が食べて美味いと思った中の1個だから美味いはずだが。ただ眺めたけで飛び去るのは、ミカンより美味い野の餌が足りている事かもしれない。それは野鳥にとって幸いなことだと思いながら、新しいミカンと取り換える。
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壊れていますよ

2019年01月18日 | 生活・ニュース

 いろんな知らせが入る。いい知らせなら何も言わないが迷惑至極な内容がある。そんな頭脳と時間があれば世の中の役に立つことに費やして欲しい。先日は「あなたのパソコンは0秒で破損します。すぐ右下の更新をクリック」、また「ウイルスに侵されている」、こちらもすぐに更新を促す。そして赤字表示で秒数が下がっていく仕掛け、一瞬ぎくりとさせる。

 また、文字化けした文面なのにタイトルだけ「セキュリティー対策のお知らせ」で届く。ほかの様に更新を促す文面は無く、このお知らせが不審なならアクセスしないようにと親切に書いてある。ただ、「この画面を閉じる」というボタンがある。これが曲者ではなかろうかと疑いアクションせず。

 「クロネコ」と発信で届いたがクロネコではない。よく注意を呼びかける「配達したが留守だったので連絡を」というのではなく、受付た荷物の配達先確認のため返信をという内容。この手のメールには顧客名がない。普通、ちゃんとした企業なら発送にしろ受け取りにしろ該当する人の名前は記すだろう。

 私はメールを始めて20年と少しになる。初めて日の浅いころに「知らない人からの通知は決して開くな。100万円を覚悟するなら開け」と教えられた。ワンクリック100万円、この教訓を守り続け被害に遭っていない。これからも不審連絡には心して対応する。迷惑メールはプロバイダーでシャット、助かっている。
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復興ひまわり

2019年01月17日 | 生活・ニュース

 昨秋ころから催しもの案内や紹介に枕詞の様に「平成最後の」が使われている。確かにそうだろうが、私的にはあまり実感として響いてこなかった。ところが、昨日の「平成最後となる新春恒例の歌会始の儀」の映像のなかで、天皇陛下と皇后さまの出席は最後という報道を聞いて「平成最後、そうなんだ」と実感した。

 今日は阪神淡路大震災から24年の日。天皇陛下のお歌は「贈られしひまわりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に」。阪神大震災から10年目の1月、遺族の少女から贈られたひまわりの種を、御所の庭にまき、大切に育てられている様子を詠まれたと解説された。復興のひまわりとして全国に広がった輪が御所の庭にあることを知らなかった。

 24年目、追悼式の模様に中で震災が忘れられていく、記憶が薄れていくことへの懸念が報道されていた。発災のあの日、職場の同僚の母親が閉じ込められ、心配したが間もなく救出されほっとした。神戸に帰省していた社員の子どもが亡くなったと報道関係から聞き対応に追われた。神戸市長田区で製靴製造を営んでいた同期が亡くなった。確かに鮮明な記憶は蘇らない。記憶を受け継ぎ、災害時の対応に勤しむ人からすればはがゆいだろう気持ちはよく理解出る。

 大きな自然災害が連続する最近だが、避難は個人責任で、災害は共助でと変わりつつある。何から手をつけるか、震災の日に合わせ、復興のひまわりに見習って元気な芽を出せるように考えなおさなければと思いはするのだが。
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シラウメ

2019年01月16日 | 自然 季節

 知人のブログやフェイスブックに梅開花の情報がちらほら載り始めた。白と紅一緒に咲いている写真もある。今年は少し早く咲き始めたとあるが、これも温暖化のなせることなのだろうか。情報の中の一つに「シラウメ」と題した写真がある。白梅の漢字書きよりカタカナ書きの方が何となく優しく見えた。

 そんなシラウメが咲いた。ひと月ほど前に、大勢が集まって思い思いに作ったミニ門松、飾りの品は、梅の小枝2本を残し町内のとんど焼で焚き上げてもらった。ミニ門松の梅の小枝には毎年花が咲くので今年も花瓶に挿してその時を待っていた。今朝、本当に小さな小さな一輪の「シラウメ」が開き二度目の役目を始めた。わが家にも春の兆しがと撮っておいた。

 「梅は咲いたか 桜はまだかいな」という歌い出しの端唄がある。端唄だから粋な意味があるのだろうくらいは想像していた。桜の後に柳や山吹も登場するが、意味はこうだと知った。梅は若い芸奴、桜は上の姐さん、柳はゆらゆら移り気、山吹は実を結ばない浮気性という。山吹は花は咲けども実のひとつもならない悲しいさを表すそうだ。

 シラウメと載せる人は花の名前をカタカナで表記している。最近ではコウバイ、ユキヤナギ、ソシンロウバイ、ミツバタツボミ、フキノトウ、ヤブランと連日載る。この様に並べて書くと読みづらい気がするが、「自然が好きです。美しい自然を自然のままで、より美しく撮れるよう心がけています」というカメラワークにいつも見惚れている。
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なごりの種

2019年01月15日 | 自然 季節

 昔風に書けば、塀の上に巾は5~6間、高さは2間ほどにはられた網に朝顔は咲いていた。花の色は何色あっただろうか、花は何種類もあった。その下を通る人はみんな見上げて、豪華で華やかな競演に暑さを忘れほっとする場所だった。

 花は終り夏が過ぎ秋になった。種を採られることも、網から弦を外されることもなく冬になった。あれほど緑濃く茂っていた葉は枯れて朽ちて落ち、わずかに残っているのは必死に網に絡み冷たい風を受けている。

 散り残った花を名残の花という。名残は当て字で本来は余波で、波が打ち寄せた後に残る藻や海水を意味したという。その波残りが短絡し変化し、人の惜別を惜しむ意味の気持ちを表す名残になった、という。名を残す意味ではなかった。

 塀の上の網に残っているのは名残の枯葉、名残の種ということになる。地に戻った種は春が過ぎれば新しい芽を出し、新しい年の花を咲かせることは何度も経験し知っている。さて、この夏にはどんな姿で花開くのだろう。これこそが名を残すではなかろうか。
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とんど祭り

2019年01月14日 | 生活・ニュース

 七草の過ぎたころから玄関先の注連縄も外されはじめ、正月気分も薄らぎ「今年も頑張るぞ」の体制になっている。外された注連縄はどんどん焼きという正月の火祭り行事で炊き上げる。どんど焼は小正月(1月15日)の行事だが、町内のそれは15日前後の休日の昼、河川敷広場で行う、今年は14日成人の日に重なる。市の成人式は昨日開かれ千人余が出席したという。

 町内のとんどの点火は年齢に関係なくその年の干支生まれが慣例、司会の呼びかけで猪生まれの人が歩み出るが、例年にくらべ少ない。司会者はくり返し呼びかける。亥年生まれは、自我をしっかり持ち、何事に対しても自信あふれる態度で接する指導者タイプと言われるからしり込みしている人はいないだろう。町内の亥年生まれは少ないようだ。

 今夜は錦帯橋下流の川原でもとんど祭りがある。ことらは万の人が訪れる観光化されたとんど祭りでその内容は町内とは比べものにならない盛大なものだ。しかし、商店街も活況を呈するというかっての勢いは見えず、夏の花火、冬のとんど共に世話役は苦労されていると聞く。燃え上がる炎のような勢いがやって来ることを願う。 

 真っすぐに立ち上っていた炎と煙、しばらくすると上昇気流と川風に流され炎も煙も横になびく。荒れる亥年を表すようにも思えるが、勢いある1年を予感させるようにも見える。後者に願を掛けながら接待の善哉をいただく。
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シャボン玉の連続発生

2019年01月13日 | 地域

 野口雨情作詞、中山晋平作曲による日本の童謡・唱歌「シャボン玉」を知らない人はおそらく無いだろうと思う。そして歌いながら遊んだことがあるだろう。「🎵シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた シャボン玉消えた とばずぬに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた」。

 シャボン玉遊び、今は市販のシャボン玉液やシャボン玉用石鹸を使いプラのストローで簡単に遊べる。子どもころは石鹸を水に溶いた石鹸液を使う。その液を麦わらの先につけシャボン玉を飛ばした。どのくらい上手くシャボン玉が出来たり飛んだかは覚えていない。どうしてシャボン玉というのだろう、シャボンはポルトガル語で石鹸をあらわすそうだ。

 そんなシャボン玉を連続発生する装置をある会の同僚が製作した。材料は全て廃材に手を加えて部品に仕上げ、電動式で発生させる。今日も9時半から15時まで、休むことなくシャボン玉を出し続けた。連続発生の珍しさもあって多くの人に喜んでもらえた、と思っている。装置に関心を持ち詳細に観察される高齢者、高学年の児童も関心を示し、いろいろ質問してくれた。

 途切れることなく大小何十個ものシャボン玉が空を舞う、その玉を追って小さな子供たちが声をあげて追っ駆け回る、見守るお母さん方はスマホで動画撮り、思い出になったらよかった。久しぶり1日中外気に触れていたが、冬にしては温暖な日和で老体は助かった。
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これからが苦労

2019年01月12日 | 地域

 朝からカーン、カーンという掛けやの乾いた音が聞こえる。何度も耳にしいる音なので近くで棟上げが始まったと分かる。所用の帰り現場を見ようと裏道へ回る。耕作放棄地で夏には雑草が背丈ほど伸びることを何度か繰り返していた空き地、整地され、不動産屋の売地の立て看板が立ち、折込チラシも何度か目にした。

 立ち寄った時は2階の梁が組み込まれていた。低い雲を押しのけるように部材を届けるレッカー車のアームの長さが目を引く。掛けやで打つ音と鳶の掛けあう声がリズムよく聞こえる。ここは、人気の小学校の校舎までは2分ほどの静かな住宅地、周囲には2軒分の宅地があり、次の棟上げはいつかと期待する。

 最近の新築では、建築工法の進歩だろうがあっという間に完成する家もある。その経過はどうであれ施主としては昔風に言えば「城を築いた」ことになる。それは一区切りついたということで、建てる前とは違った城主としての勤めが新しく生れてくる。こちらは長く長く続くことになるが、その苦労はやりがいがある。

 棟上げの現場に出くわすと、いつの頃からかしばらく眺める癖がある。あるとき「しっかり見てもろうてますが施主さんのご親戚ですか」、現場責任者らしき人に声を掛けられたことがある。古いかもしれないが、サラリーマンにとって家を建てるということは大きな望が実現すること、そう思うと他人事なのに何かしら嬉しい気になっている。
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