昔風に書けば、塀の上に巾は5~6間、高さは2間ほどにはられた網に朝顔は咲いていた。花の色は何色あっただろうか、花は何種類もあった。その下を通る人はみんな見上げて、豪華で華やかな競演に暑さを忘れほっとする場所だった。
花は終り夏が過ぎ秋になった。種を採られることも、網から弦を外されることもなく冬になった。あれほど緑濃く茂っていた葉は枯れて朽ちて落ち、わずかに残っているのは必死に網に絡み冷たい風を受けている。
散り残った花を名残の花という。名残は当て字で本来は余波で、波が打ち寄せた後に残る藻や海水を意味したという。その波残りが短絡し変化し、人の惜別を惜しむ意味の気持ちを表す名残になった、という。名を残す意味ではなかった。
塀の上の網に残っているのは名残の枯葉、名残の種ということになる。地に戻った種は春が過ぎれば新しい芽を出し、新しい年の花を咲かせることは何度も経験し知っている。さて、この夏にはどんな姿で花開くのだろう。これこそが名を残すではなかろうか。