昨秋ころから催しもの案内や紹介に枕詞の様に「平成最後の」が使われている。確かにそうだろうが、私的にはあまり実感として響いてこなかった。ところが、昨日の「平成最後となる新春恒例の歌会始の儀」の映像のなかで、天皇陛下と皇后さまの出席は最後という報道を聞いて「平成最後、そうなんだ」と実感した。
今日は阪神淡路大震災から24年の日。天皇陛下のお歌は「贈られしひまわりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に」。阪神大震災から10年目の1月、遺族の少女から贈られたひまわりの種を、御所の庭にまき、大切に育てられている様子を詠まれたと解説された。復興のひまわりとして全国に広がった輪が御所の庭にあることを知らなかった。
24年目、追悼式の模様に中で震災が忘れられていく、記憶が薄れていくことへの懸念が報道されていた。発災のあの日、職場の同僚の母親が閉じ込められ、心配したが間もなく救出されほっとした。神戸に帰省していた社員の子どもが亡くなったと報道関係から聞き対応に追われた。神戸市長田区で製靴製造を営んでいた同期が亡くなった。確かに鮮明な記憶は蘇らない。記憶を受け継ぎ、災害時の対応に勤しむ人からすればはがゆいだろう気持ちはよく理解出る。
大きな自然災害が連続する最近だが、避難は個人責任で、災害は共助でと変わりつつある。何から手をつけるか、震災の日に合わせ、復興のひまわりに見習って元気な芽を出せるように考えなおさなければと思いはするのだが。