日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

持久走ガンバレ

2017年11月20日 | 回想

 今シーズン一番の冷え込んだ朝、近くの小学校の運動場から「頑張れー」「イケイケ」など児童らの応援するような元気な声が聞こえる。少し寄り道にはなるが声の方へ向かう。紅白の運動帽を冠った児童が運動場を長い列になって周回している、持久走らしい。応援する声はしゃがんでいる児童の一団、声を出し、中には立ち上がったり手を振ったりしている。

 走っているのは高学年に見えるが、走る様子は百人百様。歩いている赤帽、かなり疲れているようだが腕は振っている白帽、徒競走の様に競い合う二人、振り向いて後を追ってくる白帽へ声掛けする赤帽、見ているだけだけの者にはどの走りも楽しく微笑ましい。眺めながら、運動音痴なので校内マラソン大会に備えて密かに練習したことを思い出す。

 歌と運動が音痴なことを子どもころからよく自覚している私も中学生になる。全生徒参加の校内マラソン大会に欠場は出来ない。直前には運動場周回の練習が授業としてあった。それにはついていくのがやっとだった。何を思ったにか下校後に自宅から坂道を含むかなりの距離を何日も走った。少しだけ自信をもって初参加の日を迎えた。全学年男子はおよそ500人、ゴールで渡された着順札は69。自分でその数字に驚きながら札の上下をひっくり返して見たが69だった。

 運動場を周回している児童ら、この持久走の成果を発揮する機会がセットされているのだろうか。自分の小学時代の記憶には浮かんでこない周回の走り。東京には間に合わないがそれ以降の五輪を狙う代表が現れるかもしれない、向こうに見える紅葉のすすむ翁のような大木が見守っている。
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寒さ到来

2017年11月19日 | 自然 季節

 今朝のアメダス岩国観測所測定の最低気温はAM7時で4.1度、西南西の風1.4㍍。北日本は雪に見舞われ最高気温がマイナスの地もある。西日本も山間部では雪を観測したという。市内北西部に住まいのブロガーは氷と霜の写真に合わせ、このシーズンの最低気温とアップ、冷え込みが伝わる。毎朝、起床時に記録している我家の室温、湿度ともに寒さを感じさせる。

 霜は降りていないが庭の鉢物の葉は夜露で重くなっている。車庫の屋根も夜露でびっしょり、上空の良く晴れた青空を遮る。湿度が低いのにこれだけの夜露になるには外気が相当に冷えこんだのだろう。

 そんな寒さの中の子ども5・7・5。「やめられない 半そで着るの まだ続く(小学5年)」「初しもが 田んぼをおおう 通学路(小学6年)」「さむいから はやくこたつに はいりたい(小学1年)」。家の前を登校する男児には半ズボン、女児もスカートに短い靴下着用の子どもらが元気に通り過ぎていく。子どもは風の子、大人は火の子のとおりだ。

 寒くなると灯油使用量が増える。民生用として原油蒸留条件を変更し灯油生産量を増やす、そのためガソリンの生産量が低下すると聞いた。そのためだろうか、GS店頭のガソリン価格が数円アップした。あわせて灯油価格も並行している。灯油もガソリンも生活に欠かせない必需品。寒さに追い打ちするような民生品の値上は何とかならないだろうか。
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竹林再生を

2017年11月18日 | 地域

 岩国の竹林、錦帯橋上流右岸のうっそうとした竹林は観光客の目を引いていた。これは、藩政時代、水害を防ぐために河川の堤防に植えられた。錦帯橋を流失させた台風襲来でも横山地区を守った竹林と子ども心に記憶している。そんな竹林は、京都の嵯峨野、岐阜の揖斐川と並んで日本3大美竹林の一つに数えられている。

 その竹林も護岸工事や駐車場、河川敷運動公園などの諸工事でその姿を変えた。散歩途中に千石原地区で熊本から観光で訪れたという夫婦から「城山麓の竹林をもう1度見ておこうとやってきたが、竹林が消えているので驚いた」と声を掛けられた。その残念そうな話し方は今も鮮明に目の奥に残っている。私は「すみません」と頭を下げた。今も3大美竹林の一角にあるのだろうか。

 竹林ボランティアのグループが手入れされているが、壊れた竹林は戻らない。ただ、観光に寄与する一方、その竹に困る人らも多い。竹の繫殖力は凄く、手入れしないと山林域や耕作地にもはびこる。山口県民は有期ではあるが森林税を年額500円納めている。これの使途に竹林への配分はあるのだろうか。

 竹も山林と同じで手入れが必要になる。そこで伐採された竹を有効活用するグループがある。イベントや夏休みには子どもらを主な対象にして、ノコやナタ、小刀などを使って竹細工指導をする。少しでも竹に興味を持ってくれればの願いを込め孫やひ孫に接するように教える。竹を活かした手作りに子どもらは嬉々として作品を持ち帰っていく。いつか竹を思い出してくれることを願う。
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郵便事業はサービス

2017年11月17日 | 社会 政治

 往復はがきと同サイズ二つ折りに印刷された「日本郵便株式会社からのお知らせ」という文書が届いた。内容は「不便をおかけするがサービスの一部を変更する」というもの。その概要は、岩国西郵便局が担当している郵便物等の配達・取集・集荷サービスを岩国郵便局が担当することによるサービス変更」とある。

 今年の初めころ、「西岩国郵便局(地元の人は西局と呼ぶ)は配達の仕事をしなくなる」と街中の話として聞いた。「もし本当なら不便になるのう」と立ち話をしたものの確たる情報は無かった。年賀はがき販売最中に噂通り2018年2月12日(月)からサービスの一部を変更、内容によっては岩国駅近くの岩国郵便局まで出かけることになる。

 文面では郵便局の業務と思っていたことが、それは「サービス」となっている。サービスなら止めても仕方ないのかと思いながら考えてみる。郵便事業に関して日常継続的に行う仕事はサービスではなく「業務」と思う。サービスと考えて日々こなしていたとしたらそこには生産性は高まらず、当然のこと業績は上がらない。民営化とは言いながら真の民間企業には程遠いと思う。

 過疎山間地などでは、民営化時の約束であった全国同一の変わらぬ郵便局制度は崩れており、民営化の波は我が街にも押し寄せてきた。赤いバイクは走るだろうが、文面には何故変わるのか記載がない。1872(明治5)年から郵便を取扱ったというから地元との結びつきは一世紀半近くになる。赤い幟がなにか寒そうに揺れているのは局として格落する寂しさだろうか。
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湧く雲から雑感

2017年11月16日 | 自然 季節

 なにげなく周囲の紅葉を眺めていて発見した。向こうに見える山と山の間から雲が立ち昇っている。初めてみる光景だと急いで手のひらサイズのデジカメで撮る。立ち昇るその発生個所は撮った位置からは分からいが、山と山の谷あいに見えるがはっきりはしない。短い時間だったが冬雲の走りの様に感じた。

 冬の雲という表現、どんよりとした空に低く垂れこめた灰色の雲は何か寒々と感じさせる。その代表格は映像でしか知らないが、大陸から日本海に流れ込む雪雲の地上から撮った景色は気持ちまで暗くする。適度な雪なら景色をめでるが今年はどうなるだろう。

 今冬は南米チリ沖の太平洋上にエルニーニョ現象が現れるという予測がされている。これが現実になると日本の冬は厳しい寒さになる。その先ぶれか、北日本では雪に見舞われている。北関東でも観測されたというから、冬はそこまで来ている。

 東北地方へ出張中の知人から「山とトンネルとダムばかり。ホテル従業員は雪の予想」と訪問先の厳しさが届いた。今日は東北でも雪が観測されたようだ。冬支度はしているというが、寒さしのぎに温まる地元料理でも食べて仕事は続けてほしい。市内の昼間の気温は13度少々、明日も冷え込むという、そして雲の多い予報、干し柿のためには陽ざしが欲しい。
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しぼり口にチャレンジ

2017年11月15日 | 陶芸

 粘土の詳しい説明によれば「土壌学的には0.002㍉以下の、風化作用を受けた二次鉱物粒子。水を含めば粘性を持つ土の総称」とある。すぐに思いつくのは陶磁器だが、レンガや瓦、セメントなどの製造原料となる。粘土細工として児童らの工作材料にもなる。そんな細かいことは知らぬままに月2回の陶芸教室を楽しむ。

 指導員は見本を作りながら、作る際の注意点や手の動かし方、ロクロの回し方、冶具の使い方などを講義する。指導員の手元を見つめながら講義を聞くのは高齢者ばかりだが目つきからその様子は真剣とわかる。目の前でこれから作ろうとする課題見本の「しぼり口」が苦も無く出来上がっていく。しぼり口といえばこれからの季節欠かせない熱燗用の銚子、いつでも使える一輪用花器などを思いつく。

 指導員と同じ種類の粘土と量を使って作り始める。早い遅いはあるがそれなりの形に成っていく。朝方の雨はいつの間にか上がり青空が窓外に見え始める。作品をのぞき見するかのように日差しが創作台に届く。人の作品を観察しながら自作の修正点を見つけては修正する。指導員の直接指導も入り、昼前には8分くらい完成する。

 弁当もそこそこにロクロを回す。今日はいつもと違い全員のやる気がみなぎっており、自分もそれに負けじと意気込む。完成した作品を並べると、同じ粘土と量の作品とは思えない「みんな違って何とか」。素焼きから釉薬まで日数が掛かるが、完成すれば新春の一輪が活けられるか、屠蘇が注がれるか、みんな口にはしないが楽しみだ。
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救急車の中

2017年11月14日 | 生活・ニュース

 家の前の小さな交差点で激しい衝突音、急いで出てみると男子高校生が我が家の塀を背にしてしゃがんでいる。止まっている普通乗用車の運転席から女性が降りかけている。似たような事故を何度か見ており、出合い頭の衝突だとわかる。学生カバンと自転車が倒れ道をふさいでいる、通学途中とわかる。

 運転の女性が「どうしたらいいですかね」という。事故を起こした時の処置は免許取得時に学んだはず。高校生は足を気にしている。運転手と高校生に確認し119番へ。「救急ですか火事ですか」に続いて概略の状況を聞かれる。到着した救急隊員は負傷者の状態を確認しストレッチャーに乗せ救急車内へ、きびきびした動作は日ごろの訓練の成果だろう。

 先日、そんな以前のことを思い出しながら救急車内を初めて見た。車内は思ったより狭く、各種の機器や備品が並んでいるというか置いてあるというか、一見雑然としたように見えた。考えてみると、それぞれの病状を勘案し救命できるよう素人には分からないが、組み合わされているのだろうと見直す。狭い車内での処置は大変な苦労だと想像もした。

 深夜、私の急病で父が自転車で往診依頼に町の医院へ走った。そして、父の帰宅より早くスクーターで駆けつけてくれた医者、こんな時代は思い出の中だけになった。地方では医師不足で救急対応が難しくなっている。医療体制の充実を望むとともに、119番通報の三分の一あまりが緊急以外の用件ということを利用者は反省しなければいけない。
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もみ殻の力

2017年11月13日 | 生活・ニュース

 仲間内との月一度の農園作業でもみ殻をよく使う。種蒔きや苗植えなどの後にもみ殻の保温や保湿性を利用して生育を促すため、畝や根元に撒く。それは有効効果だけでなく外見上の見た目もすこぶる向上させる。ひと仕事した喜びを覚える。

 父は菜園で収穫し越年するサツマイモなどは戦前から家の床下にある防空壕に保存していた。その時、家は米作りをしていないので知り合いから分けてもらったもみ殻の中で保存、それは50年以上も前の思い出になる。子どもころ、米の脱穀が終わった後の田にはもみ殻が小さな富士山の形でいくつも並んでいた。もみ殻の富士がどのように活用されたかは知らない。

 もみ殻を子どものころから「すくも」と意味など知らぬまま聞き覚えに呼んでいたが今もその癖は抜けていない。籾米の外皮をもみ殻と呼ぶのが広辞苑によると正解のようだ。すくもは地方の呼び方という。ちなみにその米から摺り落とした物は「すりぬか」という。「すくも部屋」という表現があり、その意味は、もみ殻を入れる部屋の一室とある。また、すくも火は、すくもを焚く火を表す。「山賊の蚊を厭ひけるすくも火に」、古い歌がある。

 祖母はもみ殻を使って柿の渋抜きをしていた。渋柿を綺麗にして木製のもろぶた(餅箱)に並べる。並べ終わったら、もみ殻で柿全体を覆い隠し蓋をして年を越す。祖母の経験した塾しの時間が来ると蓋を開ける。もみ殻を除くと赤く熟した柿が現れる。それは幾つも並んだ赤富士のようだったと記憶している。挑戦してみようと思いながら毎年干し柿になる。来秋にはぜひ試してみた。
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木の実

2017年11月12日 | 自然 季節

 秋も深まる早朝、銀杏の実を長い竿やブーメラン状の道具で叩き落とし収穫する人もある。銀杏が収穫から口に入るまでの手数、臭い消しを含めて幾通りもの手の掛かる工程を得てからになることはあまり知られていない。一粒に換算すると結構な値段になるが、それだけの値打ちがある。

 銀杏は晩秋の季語「木の実」に含まれる一つとして載っている。今ころは銀杏のほかにどんぐり、椎の実、栃の実、胡桃など行近ある。出会ったことはないが、木の実が雨のように落ちてくると「木の実雨、木の実時雨」などというそうだ。柿やリンゴの様に水気の多い果実は木の実に含まないという。木の実と称するのは雑木の硬実を指すそうだ。こうした実が少ないのか農獣が人里を荒らす。

 投稿することを楽しみの一つにしている。そんなことから掲載された人様の投稿も、大人子どもを問わず読む。子どもが詠んだ秋の様子、混ざりの無い表現に感心する。「この秋は カメムシ多くて 困るなあ(小学4年)」「日が昇り 紅色に染まる 山多き(小学4年)」「ゆらゆらと ダンスパーティー ススキたち(小学4年)」「海光る 見上げた夜空に お月さま(小学5年)」。

 今と違い小学生のころ、周りに塾や習い事にいく子どもはいなかったので、下校したら屋外で遊ぶことが当たり前だった。山や畑、小川、広場など不自由しなかった。山桃のなる大きな木、野イチゴが採れる山の斜面など楽しんだ思い出は残っているが、どんぐりなど木の実を使って遊んだり、それを使っつくったりといった思い出が浮かばない。秋の山で遊ぶときはハミに咬まれないよう気を付けていたことは良く覚えている。
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古い手押しポンプ

2017年11月11日 | 地域

 回数にすればかなりの回数と思うし、年数にすれば何十年という長い間その前を行き来していた通りに手押しポンプのあることをごく最近気づいた。何と、うかつだったことかと思いながら撮った。同様のポンプは川沿いの菜園では幾本か見かける。また、古い家の続く裏通りを歩くと壊れかけた塀内や屋敷跡でも見かける。水道が普及するまでは家庭用水を得るには欠かせないポンプだった。

 このポンプは、ハンドルを上下させピストンに往復運動をさせることで水を吸い上げる。取り扱いは簡単で子どもでも容易に扱え、家事手伝いの一つになった。たまに迎え水を差すこともあった。何となく大きな仕事をした気分になったようなことを思いだす。見かけたポンプはハンドルが外されているが、取り付けて迎え水を差しても周囲の様子から汲み上げそうには思えない街の骨董品のようだ。

 手押しポンプには「津田式」の文字がついていた記憶がある。前身は昇進ポンプと呼ばれ広島県が発祥の地らしい。各家庭への普及は昭和10年代半ばというから、その歴史は浅いようだ。若い人には「トトロの井戸」と言えば手押しポンプに通じるという。

 骨董的ポンプの残っている辺りは藩政時代の岩国七町の一つで宿場町で栄えたよその町の商人が移住した通り。美しい日本の歴史的風土100選に選定されている。近年は歴史を感じさせる旧家も、車社会という時代の波に押されるように今風に建て替わり始めている。ポンプ足下では、耐震用水道管の施設工事が進んでいる。手押しポンプはそんな変わりようをどう眺めているだろうか。
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