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日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

忘れない3.11

2016年03月11日 | 生活・ニュース
 あの日と同じ午後2時46分から5年。東日本大震災による被害の復興・復旧は道半ば、その作業はどこまで続くか誰も言いきれない。東京オリンピックの年にも仮設住宅は存続するという記事を目にすると前途の厳しさを感じる。

 各地で行われる追悼の様子を映像で見ながら改めて被害の大きさに思いが及ぶ。死者1万5894人、行方不明者2561人、関連死3407人、避難者17万4471人、仮設住宅入居者5万7677人。阪神大震災では5年以内に仮設住宅居住者は退去したという。

 復興が点から線になりそして面へと広がってこそ復旧になる。一部では原発事故という人災がその進捗を邪魔しているように思う。帰りたい帰れない、被災地の人口は減少している。そんな悩みを一刻も早く除いて欲しいし、再び見舞われることにないよう願いたい。

 発災時刻に黙祷でしか追悼できないが、映し出された映像の記憶を忘れてはならないと思いいたす。
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昼食390円

2016年03月10日 | 回想


 出先で食べる昼食、現役のころは様々だった。高価なものは行先であらかじめ用意されている昼食。松花堂など容器に盛り付けられた弁当、その逆は、東京駅の改札を出て山手線に乗り換えるまえに食べていた中華そばだろう。午後一番の会議に間に合う。また、本社近くのビル内にある職員食堂、在京の同僚は上京者をいろいろ案内してくれた。田舎では出合えないメニューも口にした。

 NHK総合TVで放送される「サラメシ」は働く人の昼ご飯を覗き見するバラエティー番組、たまに見るがその昼食のさまざまな関わりが面白い。活力を作るサラメシ、家族の応援弁当、新婚さんの何とも恥ずかしい飾りつけ弁当、職場ぐるみで作る昼食など放送の中身は異なっても、思わず笑わせたり故郷を思い出させたり、家では言えない感謝の言葉が聞かれたりと自然な形で写されている人生模様が意味深い。

 その中で違った面白さを感じるのは「賄い食」。賄いを仕事にする人らの食事、食堂でいえば客には出さない従業員用に作る料理のこと。和洋中の店、ホテルに社員や職員食堂と取材先は多様だが、若い人らの訓練も兼ねて作られるそれは、いつか表のテーブルに出されるかもしれない味も多いという。料理に必要な材料はすべて備わっている、味わってみたいものだ。

 退職後の食事はほとんど自宅で摂る。朝と夜はそれなりに準備される。昼食はその日の成り行き、前夜の状況、突発の来客や頂き物などでいろいろある。出かけるときはあれこれ算段するが格別の変わり映えしない品に落ち着く。今日も出かけたがうどんですます。肉うどんとムスビ1個で何と390円、味よしの店なので得し儲けたようよう気分になる。これで喜んでいるのだから安いものだ。
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色付け

2016年03月09日 | 生活・ニュース


 午前9時半頃から正午に掛けて各地で部分日食が観測できる予定だったが、予報通りの雨模様で観測出来たのはかぎられた地域だった。大掛かりな観察会の準備された皆さんには気の毒な結果になった。日食といえば理科の時間を思い出す。月が太陽の前を横切るために、月によって太陽の一部が隠されること。次回は2019年の1月6日。

 部分日食のTV映像を見ながらその時の太陽の色合いが違うことに気づいた。何かの違いがあるのだろうがオレンジ系、黄系、白系など。対象は同じなのに撮り方によってこれほど変わるとは不思議な現実だ。報道だから、素人がデジカメで撮った写真をパソコンで様変わりさせて楽しむのとは違う。

 ふと総務大臣の「放送局が政治的な公平を欠く放送を繰り返したと判断したら電波停止を命じる」とう発言がよぎった。公平とは「かたよらず、えこひいきのない(広辞苑)」ことと載っている。これを放送に当てはめると「私的な感情を交えるな」ということだろう。事実に対する分析や詳細な資料を添付などせずに、提供した内容だけを放送しなさいに聞こえる。

 「保育園落ちた 日本死ね」の匿名のブログに対する国会での議論、議論のしようがない、としていた政府答弁が、ネット上でブログへの支援の声が広がり答弁が修正された。この間、各メディアも大きく取り上げたことがその背景にある。そこには「私的感情」を折り込んだ報道だと思う。色付けとその使い方によっては世の中が変わる、良い結果も怖い結果も生じることになる。
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兜作り

2016年03月08日 | 陶芸


 濃霧注意報は昼前に解除になったが海抜500㍍の銭壷山にある県のふれあいパークから瀬戸内海は全く見えず、どんよりとした日中、気温だけは初夏に近い暖かさの一日だった。月2回の陶芸教室のテーマは粘土500㌘を使った「ミニ兜(かぶと)」作り。今から準備すれば端午の節句には間に合う。

 粘土を円盤状にする。これもなかなかの難関だが、ここを上手く越え無ければ以後の兜の形状に影響する、と指導員は丁寧に教える。かぶとの頭を入れる個所は新聞紙を丸めて形どる。円盤状の粘土をスポンジで慎重に抑えながら頭部の丸みを作り上げる。終わって気づいたが、ここでの形作りが、兜らしさを出すポイントのようだ。正面を切り開き展開した個所を吹き返しに模様替えする。

 兜の命はなんといっても兜の前立物と呼ばれる鍬形(くわがた)とその取り付け。鍬形は戦の大将らしく威厳を示す重要な飾りだ。そんな難しいことは考えずに指導員の要領を見習って取り付ける。昔から「馬子にも衣裳」というが、鍬形を取り付けると兜らしくなった。兜の飾りは思い思いに個性を発揮する。

 作品を並べ記念撮影。誰かが「真田丸もびっくりする」というほどの出来栄えになる。前から横から後ろからながめるが、みんないい出来栄えに参加者は満足そうな顔。製作時間は指導も含めて3時間あまり、我家の兜はこれで2個、端午の節句には並べて飾ろう。どう色付けするかが宿題となる。
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八朔ジャム

2016年03月07日 | 生活・ニュース


 朝食がパン食に変わったのは、定年退職後、契約社員年として数年間勤務した後だから10年あまりになる。パンと米飯、どちらを選ぶかといえば米飯に手を上げる。まあ、そこは退職後の諸々の情勢もありパンが主食となっている。3食パンというご仁もおられるが、日本の米農業を守る小さな一助になればと思う。

 その程度のパンとのお付き合いなので朝食のそれは食パン6枚切りが1枚あれば十分。ジャムやバター、マーガリンなどは使わない。その理由は好きでないだけで、パンその物を味わっている。何もつけずによく噛むと味は銘柄によってことなり、ひとくくりに「食パン」とは言えない違いが分かる。ジャムやバターなどのCMでは、たっぷりとパン塗っているがパンの味が分からないのではと思う。

 そんなでも自家製のジャムは毎朝、うっすらとトーストしたパンにのせて食べている。そんなジャムの一つに八朔ジャムがある。もぎたてを毎年いただいていたが、畑を売却されたということで今年はあきらめていたが事情あって収穫できた、と大量にいただけた。皮をむき、細く千切りにする。この千切りは手間がかかる。実はひと袋ごと取り出す。種もあり手作業ゆえ大変ではあるが、味を高めるため丁寧にこなす。

 規定の砂糖を加えて詰める。終わりにレモン汁を加え出来上がり。数時間の立ち続けの作業に堪える。昨年は目にもいいもぎたてのブルーベリーをいただきジャムにして味わった。市販のものを特別に敬遠しているわけではないが、自家製が切れた時はパンの味を確かめている。先日作ったリンゴジャムもあり、しばらくは自家製ジャムでパンを頂こう。
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災いへの備え

2016年03月06日 | 社会 政治


 「天災は忘れた頃にやって来る」、防災に関する事項ではよく用いられる有名な言葉で、随筆家の寺田寅彦の言葉に基づくという。大正12(1923)年9月の関東大震災に遭遇し調査に加わったときに残した警句という。随筆の中で「人間も何度同じ災害に会っても決して利口にならぬものであることは歴史が証明する。東京市民と江戸町人と比べると、少なくも火事に対してはむしろ今のほうがだいぶ退歩している。そうして昔と同等以上の愚を繰り返しているのである」と指摘した。

 警句は「天災はその恐ろしさを忘れたころにまた起きる」ということを表す。災害直後は人々の心構えもしっかりしているが、時が経ちそのことを忘れたころに再び災害は見舞うという警句。普段から十分な心構えをしておくことが大事であるという戒めでもある。

 間もなく東日本大震災から5年、被災されたひとの7割以上が復旧・復興が遅いというアンケート結果が載っている。原発という人災が無く天災だけなら復興はもう少しスムーズに運んだのではと思う。閣僚が視察する笑顔と笑いに満ちているTV画面を見ると復興は終わったかのような錯覚を覚える。原発再稼動が進む、「東京市民と江戸町人」という比較が将来起きないという保障はどこにもないことが気がかりだ。

 戦争はしない、侵略はしない、という憲法の基で戦後を歩んだ日本。最近、憲法を尊重し擁護する義務を負うべき内閣の人らが9条の改憲を盛んに発言する。擁護義務はあるが改憲の発議権はないことを知って欲しい。戦争は天災ではない、忘れたころにやって来なくていい、先の警句に一筆加えてほしい。
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車も啓蟄

2016年03月05日 | 自然 季節


 閏年なので今日が啓蟄、公園の松の幹に巻かれたコモ外しが始まる。コモで安眠していた虫どもは驚いただろうか。啓蟄は驚蟄とも書いてある。この日はコモだけでなく土中に冬ごもりしている爬虫類、両生類、昆虫類が冬眠から覚め地上に出てくるという。蜥蜴は見たけど蟻や蛇、蛙はまだ見ていない。地中から出るには最低気温が5度になったころ、は気象予報士の話し。

 虫穴からではないが所用で久しぶり海岸線沿いを走る、といっても運転席にいるだけで走るのは車。遠くは霞かPM2.5か視界はすっきりしない。車載温度計は18度、窓を少し明けていると気持ち良い風入る。蟻出ず、蜥蜴出ず、虫穴を出ずなどというから 人間様も啓蟄の候を授かった感じになる。

 冬眠しない人も穴から出たばかりの虫も生きるために食べる。餌とは人以外の生きものが食べる物の総称かと思いきや、生き物が自ら食するものは食物、飼育したり捕えたりするための食べ物を餌という。そういえば「景品という餌に釣られて、景品を餌に客を引きよせる」など人を誘いこむ時はエサと呼んでいる。

 次の個所へ急ぐので、昼食は早くて安くて食べやすいうどん定食にする。気温も影響してか身体がほっかほっかになる。啓蟄で這い出た虫らも陽気な空の下でどんな食事に出合えたか、呑気なことを思いながら運転する。今日はエアコンなしで走行し燃費は30㌔/㍑、車も啓蟄の恩恵を受けたようだ。
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離合可能、分からず

2016年03月04日 | 生活・ニュース


 我が町はかっての城下町、戦への供えとして道幅は狭く、おまけに迷路のように路地がある。一方通行道のメイン道が工事中、他所の人は困ることもある。車が止まってある施設へ行きたいが、この道でいいかと聞かれた。通り抜けはできるが「離合が難しい」と別の行き方を教えた。礼を言い残して行かれたが「離合」が通じなかったことで、先日、読んだ記事を思い出した。 

 その記事とは、景勝地・鞆の浦のある福山市での話し。渋滞緩和のため鞆の浦に橋を架けるか掛けないかと地元を二分した論争は「架けない」ことでおさまった。この鞆町の幅の狭い県道に最近施された「離合可能」の路面表示に、一部の東国からの観光客が「書いてある意味が分からない」と首をかしげているという。日ごろなにも思わずに使っている言葉なので面白そうだと読んだ。

 離合、「擦れ違いの意味で使うことはあるが公の言葉ではない」、自動車教習教本では「擦れ違いと教える」という説明は警察と教習所関係者、県道に標示した関係者は「対向車が来た場合、退避スペースがあり安全にすれ違うよう促す狙いで標記した」と話す。広辞苑では「離れたり集まったりすること」、三省堂国語辞典「すれちがうこと」と記事は引用している。面白い調査がある。離合を車のすれ違いと分かる人は九州・四国地方と山口と広島の両県では8割くらい、東へ行くほど低下している。
 
 1960年代に九州は大分県で離合所として使われ始めた方言が元とみられ、九州から関西・関東への就職者で広まったのではと社会言語学の先生が説明する。鉄道の単線では列車の離合を「行き違い」と呼んでいた。なんともつれない表現という乗客の指摘で数年前から「待ち合わせ」と言い換えた、と記事は結ぶ。離合可能が方言と知って驚いたが、これはほんの一例かもしれない。



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すし太郎活躍か

2016年03月03日 | 自然 季節


 今日はももの節句、これは1年の節目になる五節句の一つ。1月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、5月5日の端午(たんご)、7月7日の七夕、9月9日の重陽(ちょうよう)をさす。女の子が生まれて初めて迎えるお節句で健やかな成長を祈る。男の子は5月5日に祝う。現在は、ももの節句というよりひな祭りといい雛人形を飾る。人形が身代わりになって邪気を祓うと信じられていたことに由来するとか。

 ひな祭りの料理、多くのブログに自慢の料理が紹介されている。色鮮やかに盛り付けたそれは子どもならずとも思わず破顔、食が進むだろう。多くの家で共通している献立は彩りが華やかで女の子にピッタリで楽しい「ちらし寿司」。もしかして、CMでおなじみのあったかご飯をまぜるだけの「ちらしすしならすし太郎」が使われ永谷園を喜ばせとか。

 ひな祭りのお菓子の定番は、雛あられ、ひし餅、桜餅が浮かぶ。童謡「うれしいひなまつり」の歌詞にある右大臣が頬を染めた白酒も欠かせない。そんな中で赤、白、緑を重ねたひし餅は作った覚えがある。調べると、赤い餅は先祖を尊び厄を払い健康を祝い桃を表す。白い餅は清らかさと残雪を表し、緑の餅は新芽と若草を表す。言われて見るとめでたい物だがスーパーでは見かけなかった。

 各地の雛飾りの様子が報じられる。由緒あるもの、代々伝わる家宝、庶民の家に飾られたもの、有名人を模した新作など趣きはそれぞれだが、女の子の節句どおり華やかである。名勝・錦帯橋周辺でも民家や店舗など通りに面したところに雛人形が飾られている。映像で見るとは違った味わいが伝わる。ピンクの幟が目印、お運び下さい。
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時を大切に

2016年03月02日 | 生活・ニュース


 それぞれに思い出のある35年と40年に渡って使い続けていた2個の腕時計、同じ時期に相談したかのように時を刻まなくなった。素人判断は電池切れ、時計店で確認すると電池切れではない。寿命なら買い替えと相談すると、どちらも形は古いが良品なので「分解点検」を勧める。長く付き合のある老舗なので見積もり額を聞き分解点検を依頼する。

 それから数日、メーカーから「部品が無いので分解点検できない」と連絡ありという。残念だが次の手を考える、といっても購入する方法しか残っていない。懐具合と相談しながら陳列のあれこれから選ぶ。思いの値段の10倍15倍の品が「良く売れます」と店員は誘導する。年金暮らしなのにそんな風体にどうして見えるのか問うてみたいが、それが接客マニアルかもしれないと苦笑しながら高級品や流行品には手が出ないと断る。

 驚いたのは大方の製品が「ソーラー駆動の電波修正」方式だった。いま知ったのかと笑われそうだが仕方ない現実だ。それは昨年も終わろうとするころの話。懐が許す電池不要、日付時刻合せ不要、派手でない標準的な形を購入した。何もすることはない簡便な時計に進歩を感じながら、12月と1月は31日まである。日付合わせ不要なら3月1日が正しく表示されれば信頼に値する時計になる。

 気分だけの危惧は見事に外れ昨日「1」を表示し安心させる。今のところ満足な状況下にある。化粧箱に取り扱い説明書が入っている。大きさは名刺大だが150頁以上ありその半分は英文だが充実した内容に驚く。電子マニアルでどうぞの多い昨今から外れていて嬉しい。さてこれから何年期待に応えてくれものか、それはそれとして大事に使い時を大切にしよう。
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