日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

抱竹桜

2016年03月26日 | 地域


 道そばの竹林の中にある桜の木、その幹を貫いて姿を見せた竹、それを見つけて何年になるだろう。竹を抱く桜として「竹抱桜」と勝手に命名していた。しばらくして、誰が作られたのか立派な木製の札が立った。そこには墨色鮮やかに「抱竹桜」とあった。同じ3文字でも並べ替えで趣の違いを学んだことを記憶している。

 昔を知らなければその付近に竹が茂っていたことは分からないように整備され見晴らしがよくなった。発見以降も、そばを通るときは必ず状況を確認している。春の兆しとともに竹の葉は緑に変わり、桜のつぼみも膨らみ始めお互いが生きていることを確認し合っているように思える。「抱竹桜」の立て札はいつからか潰えている。

 竹に道を譲った桜は染井吉野。公園にある同種の古参の幹は中空、中には樹皮だけの木もあるが例年のように花は咲き、生命力のすごさに驚かされる。染井吉野の苗木は接ぎ木という。そのことが幹の空洞化と無関係ではないという書き物を読んだ記憶がある。抱かれた竹はその空洞を我が道として歩んできたのだろう。人工的でなく自然になしたとこが面白い。

 抱かれている竹も永遠ではない、新しい息吹が空洞の下で起きているかもしれない。人手を貸さないと生きていけない生き物や植物も多いが、多くは生まれた時から受け継いだ力を大事に生き続ける。してみると、人間は万物の霊長というものの、自然のままの生物の霊妙さには敵わない部分が多いように感じる。桜は見上げて眺めるもの、ちょっと敬意を表してみよう。
コメント
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