日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

狐ヶ崎の太刀

2012年12月02日 | しっちょる岩国
            

 第2回岩国検定試験は71名の方に挑戦を頂き有難うございました。受験者数は第1回より減少したが減少率は予想以下でほっとしている。採点を終え認定証の作成中です。受験者の方もう少しお待ち頂きたい。

 問題の14番は、吉川家に800年余に渡って伝えられる国宝の名刀について、その「号」を問う設問だった。その太刀の展示が先月末まで吉川史料館(昌明館)で催されていた。ここに載せたかったが、出題との関係で今日まで延ばしてきた。この太刀は身長78.5センチ、反り3.4センチ。鎌倉時代初期の青江為次の作で国宝。付属として革巻太刀拵。

 「源頼朝没後、2代将軍・源頼家は御家人の梶原景時と疎遠になった。正治2(1200)年、梶原景時は一族と共に京都へ向かった。頼家は梶原一族追討ちの命令をだした。梶原一族が駿河に通りかかった時、吉香友兼(吉川氏2代)は近畿の豪族たちと清見関(現在の清水市」で迎えうち、近くの狐ケ崎の地で戦った。

 その時、友兼は梶原景時の三男・景茂をこの太刀で倒した。吉川家では、この太刀を戦場の名にちなんで『狐ケ崎』と命名し、第一の宝物として大切にされてきた」と太刀の説明がされている。

 太刀についての知識など露ほども持ち合わせぬが、説明とそれを見下ろすかのような広家の肖像画が一体となり、戦国の厳しい息遣いが展示ケースのガラス越しに伝わる。「岩国を築いた 英知の三藩主展」も開かれている。三藩主は初代吉川広家、3代広嘉、12代経幹。今の岩国の成り立ちへの業績を知る。三藩主展は来年5月末まで開催。
コメント (2)
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