日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

日本一のアユ

2012年10月11日 | 地域
            

 あの、ぎらぎらと眩しかった川面の反射は、朝夕の涼しさに合わせるかのようにやわらかな輝きに変わった。留めた川舟に釣り人が見える。この時期だと落ちアユを狙っているのか。しばらく見ていた。アユがいないのか、いても釣り糸を避けているのか、釣り上げたときの大きな動きは見られなかった。

 落ちアユ釣りのブログも多い。それには友釣りとある。方法は「オトリのアユを付けた仕掛けを投入し、狙うポイントまで泳がせます。アユが縄張りを守る習性を使い、オトリのアユに体当たりしてくるアユをイカリ針に掛けて釣りあげる」とある。子どもころから聞いていた方法が今も続いている。どの方も釣果が思わしくない、と綴っている。水量は少ない。

 市内の北部に宇佐川という錦川の支流がある。ここで獲れた「宇佐川のアユ」が「全国清流めぐり利き鮎会」で、全国50河川の中から最終選考で2度目のグランプリに輝いたという。審査は焼き姿、香り、わたなど5項目をチェックされる。参加したのは宇佐川で育ったアユ20数センチの40匹。さて、日本一のアユはどんな味がするのか知りたい。

 宇佐川には清流に住むオオサンショウウオもいる。清流・錦川とひと言で呼ぶが、流域皆さんの日ごろの気遣いが日本一のアユやオオサンショウウオに繋がっているのだろう。こうした恩恵を受ける下流地域の一人として感謝しなければと思う。
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1年目の検診

2012年10月10日 | 生活・ニュース
           
 
 昨秋の癌手術からまもなく1年。3カ月間隔の検診も4回目で節目の検診、今回は2日に分けて受診した。結果は再発や転移などの異常はない、と診断を受けた。残る4年、こうした検診は続く。家庭医は「安堵せず継続した観察が必要です」と気遣ってくれた。

 手術前、担当の外科医から私の診断用映像を指しながら手術方法の説明を複数回受けた。それはカンファレンスの結果、私の症状に対する最善の処置とし、術後の見通しについても詳しく聞かされた。画面にカンファレンス参加の医師名がずらりと載っていたことを覚えている。国立医療センターとはいえ地方にある医療機関、感覚的には充分に納得した。

 死亡率のトップが続く癌、その医療については各界各層でそれぞれの立場で多彩な意見が発表されている。専門的な内容は素人には難解で何も通じない。そんな中で文藝春秋10月号の「最高のがん病院 大研究」はそうなのか、と素人わかりする内容で、一気に読んだ。

 また「がんの痛みは怖くない」という記事は、がん治療の末期的治療と思っていた麻薬による痛み止めについて「医療用麻薬は怖くない」という立場から実践例を基に書かれている。素人の要旨では誤解を招くのでさけるが、解りやすく参考になった。

 ここでいわれる麻薬は、芸能人などが所持使用などで法の裁きを受ける麻薬とは異なるとされている。健常者の体内に入った麻薬は「快楽中枢が刺激をうけ強い快楽や多幸感がもたらされ、繰り返すうち依存症になる」という。病による痛みのある人は「快楽中枢への道が閉ざされ痛みを抑える方向のみに作用をする」、だから怖くないという。

 「暗黒の闇の中から、突如、快晴の清々し朝を迎えるような、劇的な変化」という小説のような書き出しの意味が、読み終えて解った。痛み止めの世話にならぬよう心して過ごそう。
 
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高校生の災難

2012年10月09日 | 地域
           

 パトカー2台が通常パトロールしないような裏道へ入っていく。事件が起きるような地域ではないが何事だろう、と思ったた。昼のTVニュースで「通学途上の高校生二十数名がすずめ蜂に襲われた」ことを知った。現場はパトカーが向かった方角で見慣れた場所が映っている。生徒に入院などはなかったという。

 散歩の時、たまに通る道沿い。岩徳線錦川鉄橋の川西側の橋脚付近、水西書院近くと言えば分かる方も多かろう。桜の木の空洞から取り出した巣も映っていた。そんな蜂のいた桜の木を見ることを目的に散歩の方角を決め出かけた。

 そっと近づいてみた。根元は径で1mを越える大きな古木で、ソメイヨシノ特有の大きくて奥深い空洞が口を開けている。覗こうと近寄ると数匹の蜂が飛んでいたので急いで退いた。注意を促すメモ書きが風に舞っているが、事を知らなけれ気づかないし読まれないのではないかと思えるほど小さな紙片だ。

 早朝、この桜の木のそばをウオーキングで通るという同級生が通りかかった。話は蜂になった。朝方に見たことはないという。話しをしている間も蜂は空洞からの出入りを繰り返している。再度、巣作りに挑むのだろうか。しばらくは注意が必要だろう。

 今、新しいスズメ蜂が生まれ外部の様子に敏感になっている時期という。攻撃を受けたら払い落としたりしないでそこを離れること。払ったりすると巣から一斉に飛び出してきて攻撃されるそうだ。特に黒を狙うので頭は攻撃目標になりやすい、気をつけたい。

 この付近、このブログでも紹介したことのある花見の新名所で、その季節には大勢の人で賑わう桜トンネルの終点付近。それまでに完全に駆除され安全地帯になって欲しい。
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ハッピーマンデー

2012年10月08日 | 地域
           

 爽やかな秋晴れに恵まれ「お家大好きも引っ張り出される」そんなお父さんの声が画面から聞こえた。その顔を見上げる子どもの嬉しそうな笑顔がいい。こんな姿を見ると「ハッピーマンデー」の提唱者は「よっしゃ」と頷いていることだろう。

 今日は体育の日、10月10日がその日と体に染み込んだカレンダーがまだ抜けないでいる。ほかの三連休も同じだが、退職し「毎日がお休み」の身なれば抜けきれないでも支障は起きない。高速道路の渋滞情報を見ながら「若いお父さん頑張れ」とエールを送る。

 片方で子どもの虐待やそれがさらにエスカレートした忌まわしい事件が後を絶たない。都度、関係者の弁明が報道されるが、弁明は言い訳じみていて主旨に大きな違いはない。全てではなかろうが、これまでの悲しい事件の教訓や反省が鑑とされていない、生かされていない、他山の石は他山の石のままになっている。

 体育の日は東京オリンピックを記念しての10月10日だった。国立競技場、ロンドンで活躍した五輪選手と一緒に秋の日を楽しむ子どもらの姿を映像で見ながら、全ての子らがあのように青空を満喫できる日の来ることを願っている。
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復活への努力

2012年10月07日 | 町かど
           

 子どものころの商店街、そこはかっての城下町で碁盤の目のように区画されている。その碁盤の目の道幅は狭い。小学校へ通うのに、オート三輪車が通れば店の軒下に避けていたことを思い出す。そんな通りでも様々な商店が通りに面して軒を並べ賑わっていた。

 時代は徒歩から車へ、和装から洋装へ、商店街から郊外型店舗へ移り変わった。こうした変化につれ商店街はシャッター通りに変わった。郊外型店舗は、こうした古くからある商店街の全店舗をまとめて一店舗に収めてしまう大きさと豊富な品揃えを構える力を持っている。老舗といえどもこうした資本には太刀打ちは適わない。また、こうした昔ながらの商店街には駐車場が無いにひとしく、客足をとめることは出来ない。

 旧城下町を保存するか否か、総論は賛成でも各論になるとその判断は難しいと聞く。こうした間にもあちこちで解体や建て替えが進む。裏側の接した家が解けると向こうの通りが見える。するとその跡の多くは駐車場に変わっていく。解かれて向こうの通りが見えるそこを通り抜けしてみる。持ち主の寂びしさを思いながら。

 並んで商いしていた商店が所どころ閉まり不ぞろいな商店街になる。すると客足は遠のく。ますます不ぞろいになる。回生へ向けてアイディアを出し努力されているが、客足は戻らない。努力はいつ実るのだろうか。最近、新たに閉まったシャッターの前で思った。
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ワックスがけ妻と汗

2012年10月06日 | エッセイサロン
2012年10月06日 中国新聞「広場」掲載

 ようやく涼しくなったので、延び延びになっていた床のワックスがけをした。家具は妻と二人で移動。何年もやっているので呼吸は合う。

 ワックス容器の注意書きに「拭くのではなく塗るように」とある。最近は品質が良くなり、取り扱いやすくなった。乾燥も10分ほどで助かる。

 布にしみ込ませたワックスを腰を落として塗る。新築から続けて17年になる作業だが、塗りむらが発生しないようにゆっくり細心の気を配る。

 昨年、入院したこともあり無理しないようにと言う妻の意見も入れ、これまでは半日で済ませていた仕事を、ことしは2日にした。それでもいい汗をかいた。

 乾燥して生き返ったように光る床を見ながら冷たいお茶を飲む。ことしは家具を戻す時、少し位置を変えた。見慣れた部屋だが少し広く感じる。

 疲れを癒やしてくれる心地よい風に、夏の間しっかり日差しを遮ったカーテンが揺れる。「次はカーテンを洗濯」と妻は立ち上がった。  
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いちすけ号

2012年10月05日 | しっちょる岩国
           

 中国地方で最初に電車が運行されたのは岩国市。それは岩国出身の電気工学者で日本の「エジソン」と呼ばれた「藤岡市助」の出身地ということもある。市助は1907(明治40)年電気軌道会社を設立、1909(明治42)年から1929(昭和4)年までの20年間、錦帯橋近くの新町から新港近くまで路面電車を走らせた。今の岩徳線の開通に伴い運転を終えた。

 大正時代の終わりに2両連結で走る写真が残されている。どのくらいの利用者があったのだろうか。祖父は「運転にかかわった」という話は聞いていたが、その内容については全く記憶にない。しかし、こんな話が硬くなった脳の奥から出てきた。あるとき何かの弾みで脱線した。丁度乗り合わせていた巡業中の相撲取りが持ち上げて線路へ乗せた。
 
 この路面電車をモデルに制作されたレトロなバスが運行されいる。藤岡市助の名前をとって「いちすけ号」と命名され、路線バスとして岩国駅・錦帯橋間で運行されている。運行は岩国駅発が8時から18時までの毎時00分、錦帯橋発が8時から18時の毎時30分、片道20分。木製のシートや電車に似せた外観などレトロなつくりはタイムスリップしたようだし、西岩国城下町の軒すれすれに走るコースは往時のままの古い町並みが見られ趣がある。

 先日、大明小路を歩いているときすれ違った。写真を撮ったら運転手が右手を上げて軽く頭を下げ挨拶をくれた。思わぬことに驚いたが、観光客と思ってのお礼の挨拶だったのだろう、と考えた。観光を大きな旗印にする市にとって「いちすけ号」は大きな存在、このようなちょっとした心遣いが観光客の心象をよくする。

 運転手が挨拶をくれた日は父の命日。路面電車の開通したのは明治42年、父はその年に生まれた。103年前のことになる。偶然ではあったが気持ちよい一日を過ごした。
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「老」の経験や知恵生かそう

2012年10月04日 | エッセイサロン
2012年10月04日 朝日新聞「声」掲載

 「老」の字について問うと大方の人が「年をとった人」と答えるという。超高齢化社会と称されるいま、そうかと納得もする。しかし大老や家老、老熟に老練、老舗などいくつもの老を含む味わいある日本語がある。

 「老」は多くのことに経験を積み巧みな技や知恵を持っていることを表している。そこには「敬う」という意味を感じる。かって家庭では、家事や育児などは父母から教わり、そこから和が生まれた。地域の伝統や行事は年長者から伝えられ、引き継がれた。そこに自然と絆が芽生え、育っていた。

 どうしてそれが薄くなったのか。核家族化が進み、情報はネットや書籍中心となり、経験者から学ぶ機会が失われた。情報化の進歩や多様化への対応困難さなども老の出番を減らした。老は増えたが、その蓄えた力の使い場が不足している。

 孤独死や老人介護など高齢者を取り巻く環境は厳しい。民間活動も合めこうした問題へ取り組みがされているが、改善策は容易には進まない。

 東日本大震災を機に大きなうねりとなった絆の復活。そこに高齢者の経験と知恵を引き出し活用し、「老」を単に「年をとった人」という単純なイメージから脱却できないか。

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現場の力

2012年10月03日 | 生活・ニュース
           

 「現場からお伝えします」。事件や事故が発生すると現場から生放送が始まる。今は実況中継と呼ばずライブという。TVのそれは確かに現場と呼ばれるその状況を居間にいながら知ることができ、速報の力を知る。ヘリからの映像が加わると理解も早まる。

 事故などが発生するたび「現場を確認してから」「現場が混乱している」「現場の指揮系統が」「現場の声を聞く」「現場監督」など「現場、現場」が飛び交い、現場が主役になる。現場って何だろう。

 化学プラントのオペレータ経験がある。オペレーターは現場とは呼ばないが、間接部門では一般的に現場と呼ぶ。その現場では「異」が起きないように運転する。いや起こしてはならないのだ。異臭・異音・異常振動・異物などなどの全てが運転や製品へのトラブルに連なる。それらを早期に把握し対処するためパトロールをし計測機器を監視する神聖な職場だ。万一に備えて対処訓練を繰り返す。

 近くで棟上があった。レッカーのアームから長い部材が降りてくる。声を掛け合い確かめ合いながらそれを受けて降ろし、組みあげていく。ここはまさに建築現場。活気がある。しかし、ここで事故が起きると災害現場、一瞬にして暗転する。現場は事故を起こしてはいけない。起きると周辺を含め多くに迷惑をかける。マニュアル一辺倒では無理だが、普段の研鑽で安全を守る、それが現場だ。
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はじめまして

2012年10月02日 | エッセイサロン
           

2012年10月02日 毎日新聞「はがき随筆」掲載

 帰省した中2の孫娘。あいさつが終わるや否や大きな袋から取り出したのは、黒っぱい布で包んだ箱。出てきたのは、生まれて半年の1羽のインコだった。
 
 孫の手に移る。腕や肩、頭へと動き回る。動きながら孫と忙しく会話をする。新幹線での真っ暗な鳥かごのストレスを発散しているようで、ほほ笑ましい。

 何度目か差し出した私の指に移ってきた。「初めての指だ」と観察している。「お帰り」と声をかけると、タイミングよく鳴いたのが「はじめまして」と聞こえた。これからは1羽が加わる孫の帰省、楽しみが増えそうだ。
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