柿木はあるのに実がなっていない。昨年、枝が折れないかと心配した近所の木に全く実がついていない。散歩であちこと歩くが生っていても数はほんのわずか。今年は「裏年」としたブログもいくつか拝見した。
「裏年」とは果実などの出来がよくない年、を表す言葉。こうした現象を隔年結実という。柿などの果樹が或る年はものすごくなってよく果実を結ぶと、その翌年は果実を結ばない。それは樹が弱ってしまうので起きる、生年とふなり年を繰り返すことをいう。
子どもころ、庭にあった柿の実を富士山に似ていることから「富士山柿」と祖母が教えてくれた。正式な名称は今も知らないが、この方が夢があっていい。収穫すると深手のもろぶた収め、もみ殻で覆い年明けまでおいて熟成させていた。半透明な飴色に熟し、とろっと口に入っていた。その美味さ、上手く思い出せないが「最高のおやつ」だった。
その柿が裏通りの塀の上に1個生っている。少し色づいていてまもなくもげそうだ。野鳥から守ってやろうとネットがかけられ保護されている。そうしないと主は味わうことが出来なくなる。見上げながら主の気持ちが伝わる。
柿の木は「さくい、ので枝が折れやすい。だから絶対に登って取ってはいけない」と教えられていた。さくい、とは脆いという意味。だから上を向いて長い竿を操ってもぎとる。そのとき小枝だが、簡単にちぎれることで脆さの想像がつく。
今年の我が投稿は裏年、でも、あせることなく続けよう。裏年と間違いそうな言葉に裏作がある。裏作の技はどこにある、人まねは脆い枝と同じ、こつこつ積み上げ備えるしかない。例会資料を繰りながらもう一編、挑戦してみよう。