日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ほのぼのカレンダー10月(神無月)

2009年10月01日 | 生活・ニュース
               

作 東井義雄

私が、若い頃読みふけった懐かしい書物の中の1冊に、出隆先生の「哲学前夜」があります。出隆先生は、哲学者であられるとともに、「神伝流」の水泳の達人でもあられたと聞いています。

その出隆先生が、何かに「水泳」のことをお書きになっていました。「水は、人間を浮かせるだけの浮力を持っている。しかるに、人間が溺れるというのは、『こんな所で・・・・』と思われるほど、浅いところで溺れている。

結局、水の浮力に足をとられてあわててしまい、その心の重みで溺れたのである。心を無にして、身も心も水に預ければ、自分の力を使わなくてもおのずから浮ぶ」というような内容の文章でした。

出隆先生の、「心を無にして、身も心も水の浮力に預けてば、おのずから浮ぶ」というお言葉は、親鸞聖人が「如来の本願力に乗託すれば、おのずから然からしむる自然法爾の世界を恵まれる」とお教えくださったことにも通じているように思います。

またそれは、私がこどもの日、あの熱くて熱くてたまらなかったお灸の熱さが、「きばり心」を抜いたとたん、あんな快い安らぎの世界に変わったことにも、つながっている気がするのです。

私は、初め、お灸の熱さにまけまいとする「きばり心」の重みで、熱さの底に沈み、熱さの苦しみに溺れていたのです。それが「きばり心」を捨てたとたん、熱さが苦にならない世界に浮かせてもらったのです。

どなたのお作か存じませんが、「散るときが浮ぶときなり蓮の花」という句が思い出されます。「自分が・・・・」という「我」が散ったとき、ポッカリ、安らぎの世界に浮かばせてもらうのです。水に「浮力」があるように、私に注がれている「本願力」が、沈むしかない私を、浮かさせてくださるのです。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 手書きで調べる | トップ | 閉 所 »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
出会いを感謝 (kanopin)
2009-10-01 23:54:02
良い言葉への出会いをありがとうございます。
繰返して読みました。
「散るときが浮ぶときなり蓮の花」
心が騒ぎます。
返信する
kanopinさん (tatu_no_ko)
2009-10-02 20:06:36
カレンダーについてきた小さな冊子からですが、思い返すには有用な発見をさせてくれる言葉に出会えます。
返信する

コメントを投稿

生活・ニュース」カテゴリの最新記事