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昭和14(1939)年発行の「山口懸人物史」に岩国出身の一人の洋画家が紹介されている。その書き出しは、「本邦洋画界に名声の嘖々たる人に美術科出身にして現在太平洋美術学校教授、 自由学園女学校講師、洋画家桑重儀一氏あり」とし「山口県人として斯界に頭角を抜けるは頗る意を強くすることなり」と続く。
これは4年前の夏にアップした「桑重儀一画伯」の1節。そのいきさつは、茅野 友さんの紹介で桑重儀一画伯の生家を訊ねる機会に恵まれ、絵画はもとより絵付けされた陶器、墨絵など多くの作品を拝見した日に載せたものです。そのなかで、次代に伝え残す施策が欲しいと短く書いていた。
素晴らしい作品が生家で眠っていることを知った市内在住で、岩国の文化向上に熱い想いをいだいておられる篤志家の方の努力で「桑重儀一展」が錦帯橋畔の五橋文庫で開かれることを茅野さんおブログで知った。訪れた日、館長さんの案内で展示品についての解説と、収集での逸話など思いがけない貴重な時間を過ごせた。また、偶然だが篤志家の方にもお会いし話を伺った。
館長さん、1枚の絵(写真)を指しながら「洋画家として雅号を記すとき漢字でなくアルファベットでサインする。そのために雅号を練習されたのではないでしょうか」と話された。そこには何種類もの「G.Kuwashige」が記されている。サインにも作品と同じ値打ちがある、そう思いながら鑑賞した。続きはこの次に。
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