
元プロ野球投手の村田兆治さんを知らない野球フアンはいない。広島県人(三原市出身)で広島・福山電波工業高(現近大福山高)からプロ野球ロッテ入団、数々の記録と名勝負を残し惜しまれながらプロ生活23年で第一線を去った。今もサインには「人生先発完投」と記されるという。購読の中国新聞に15回に渡りそんな「村田兆治さん」が掲載された。
子どもの頃はソフトボールに夢中で校舎の窓ガラスを壊した大ホームラン、中学で野球部に、捕手から投手転向の話しも面白い。「君がいれば甲子園に行ける」と誘われ福山電波へ。だが甲子園には行けなかった。しかし、超速球は知れ渡りプロ球界も目を付けた。当人は広島カープ1位指名を待っていた。その時、カープの抽選は12番、すでにオリックス(現ロッテ)が村田指名済み。氏名重複による抽選は当時の制度では無かった。
もし、村田投手がカープ入団していたら、カープの歴史は変わっていたかもしれない。私は2008年、離島の小学校では児童が少なく2チーム作れないことを知り、思いを持ち始めたという「離島甲子園」を文藝春秋で読み、村田投手の引退後の野球へのかかわりを知った。それは「第1回全国離島交流中学生野球大会」が開かれた年だった。
真摯な指導から子どもたちは「額に汗すれば心と体が自らの力になることを学んだ」という。今年、第7回離島甲子園(佐渡島大会)に出場し投手が巨人・育成に指名されたという記事を見た時に、村田兆治さんの思いの一つが結実していることを知った。いつか本物の阪神甲子園球場で試合が実現できることを期待している。(写真は掲載記事より拝借)