
昨年の初冬、知り合いの岩国年金受給者協会の会長さんから「県年金受給者団体連合会(県年金連)だより」へ「随想」を書いてと頼まれた。随想とは、と思っていると「あんたがいつも新聞投稿しているような内容」と応えながら、1行12文字で30数行、出来るだけ早く欲しい、そんな依頼内容だった。その掲載された会報が届いた。そこには私に似ても似つかない、いいカットが使われ、駄文をカバーしてもらい感謝している。
定年後に何をするかよく聞かれた。定かな目標はなかったが、まずは「元気に」だけは決めていた。
年金連の会員になって12年。エッセイや陶芸、パソコンなどの会に出会え、そこで多くの人と知り合い、いま元気な日々を過ごしている。
そんな中、我流で楽しんでいるのが、京都に住む孫への新聞作り。3歳になる少し前「平仮名が読めるようになりました」という嫁からのメール。離れているので繋がりを作ろうとパソコンで作り始めた。初めは季刊のつもりだったが、面白くなり今は月刊、140号近くになった。
記事は日々の身の回りのことや、庭に花が咲いた、プランタンの野菜を収穫したなど、たわいないこと。季節の花や近郊の風景写真なども載せている。
孫は中2、その成長には追いつけない。そろそろ休刊を考える頃かと、妻と話している。そのとき、残念のないよう、いい紙面を残したい。そう考えながら新年号を作り始める。