初詣の楽しみのひとつにおみくじがある。神妙に引き当てたら開いて読む。隠すように読む人、目の高さで広げて読む人、顔を寄せ合って読む人などその人の性格とおみくじの内容が絡み合って面白い光景がいつも見られる。しかし、声を出して読む人にはまだであっていない。
鳥居をくぐって境内へ入った。日向ぼっこをしていたネコが足音に驚いたかのように私の横をすり抜けて外へ去った。初詣であれほど賑わっていたそこには人影もなく、名残は、そこかしこに結ばれたおみくじだけ。結ばれたおみくじの重さで枝が下がったのかな、と思わせぶりな枝もある。
年の初め、神に祈願して1年の吉凶を占ってもらうおみくじ、若い人ほど熱心に読み、結ぶつけているように思う。大吉はその持続を、運の悪い凶はそこからの脱出を、それを引き当てた人へ神が告げる。よければ信じ、そうでなければ2度目を引いたこともあったと思いだす。
結ばれたおみくじ、申し合わせたようにきれいに並んでいる。そこには結んだ人の個性がないかのようにさえ思える。折り方もみんな同じように見える。神の不思議な力がそうさせていると思えば、おみくじに力を感じる。
私の身長では到底届かない高いところの枝に結ばれたおみくじを見つけた。ほかのおみくじを睥睨しているように思える。さぞ素敵なそれだったのだろう。多くの受験生も結んだだろう。受験が本格化する。まず、受験生へその幸のあることを願いながら鳥居を後にした。
(写真:高い小枝に結ばれた三つのおみくじ)