申命記 31章
日曜日礼拝の後、集まった人たちがウクライナのことをおぼえて祈りました。小さな祈りを神が聞いてみわざを進めてくださると信じています。
申命記31―34章では、まもなく世を去ろうとしているモーセの姿が描かれています。本章を読んで思い浮かべたのは「伝える」ということば。
モーセはここでまず、イスラエルの民全体に主が先立って行かれるのでヨルダン川を渡り、モーセの命令のとおりにその地を占領せよと伝えます。次に後継者ヨシュアに伝えます。主だ先だって進むのだから恐れてはならず、強くあれ雄々しくあれと言うのです。さらに祭司たちと長老たちには、民が忘れないように七年の終わりごとにみおしえのことばを彼らに読んで聞かせよと伝えます。
ここで目に留まるのは、祭司たちと長老たちが誰に読んで聞かせるのかということです。12節に「男も女も子どもも、そして寄留者」とあります。そしてさらに13節では、「これを知らない、彼らの子どもたちもこれを聞き」とあります。広い範囲、いやすべての人に神のみおしえを読んで聞かせるのです。そしてそれは、聞いて学び、神を恐れ、みおしえのすべてを守り行うためでした。
子どもたちがここに含まれています。「子どもたちは分からないから…」ではありません。子どもたちに、そしてこれを知らない彼らの子どもたちもと、伝えるべきこと、いや、伝えなければならないことは継承されて行かなければならないのです。神を恐れる生活とは、ある瞬間、ある期間、ある世界で終わってしまうものではないというのです。
これらのことばが、まもなくこの世のせいを終えようとしているモーセによって語られたということに、重さを感じます。