ヤコブの手紙 5章13−20節
土曜日、ウォーキングついでに卵などを購入しようとスーパーに…。会計をしようとしたら財布を忘れたことに気づき、いくつかのものを戻してお店を出ました。でも、たくさん歩けたのは良いことだったとしましょう。
ヤコブの手紙の最後の部分です。ここでは祈ることを勧めるヤコブのことばが心に留まります。苦しんでいる時に祈る、喜んでいる時にも祈る(賛美する)、病気の人がいる時にも祈る、互いに罪を言い表して祈るとあります。
ヤコブは、15節で「信仰による祈り」、16節で「正しい人の祈り」と書いています。どれもほぼ同じ意味のように受け止めました。「正しい人」というと、品行方正の人、クリスチャンなら模範になるような人と読んでしまいがちですが、ここでは、神とのあるべき結びつきを持っている人のことでしょう。神との関係において正しい人という意味です。
ここには旧約聖書の預言者の一人、エリヤの名前が挙げられています。17節の「私たちと同じ人間」ということばにも目が留まります。「当たり前だ」という声と、「エリヤは特別なのに…」という声の両方が聞こえてきそうです。前節の「正しい人」の理解から考えるならば、エリヤは神との間にあるべき結びつきを持っていた人だという意味で「私たちと同じ人間」だと言っているのかもしれません。
神さまに造られたゆえに、神との正しい関係にあるのが人間のあり方なのだと教えられます。
毎日16時にウクライナのために1分間祈ろうとの呼びかけを受けて、みんなで祈っています。祈りを聞かれる神に信頼して…。ともに祈りませんか。