ヤコブの手紙 4章
日本の家族がコロナ陽性に。これを機に、ゆっくりと休養できると良いと思いつつ、症状が悪化しないように神の守りを祈っています。
4章は、まさに今、私たちが耳を傾けるべきことばです。ヤコブはなぜ人は戦うのかについて、「からだの中で戦う欲望から出る」と書いています。確かに人は何かを欲します。自分が持つもので手に入れることができるものもありますが、できないものもあります。
その時にあきらめることができるのは、実は幸いなこと。ところがあきらめられずになんとしても手に入れたいと願うならば、人をだまし、力を用い、さらに殺してまで手に入れようとします。それは悪い動悸によるものだとヤコブは言います。2節に「自分のものにならないのは、あなたがたが求めないから」とあります。マタイの福音書7章7節にある「求めなさい。そうすれば与えられます」とのイエスのことばを思います。
このような者たちは、神に求めず人に求めると方向を間違えているばかりか、自分が今欲しがっているものが神のみこころにかなうものであるかどうかということを祈り求めることをしません。いや、自分の願いを神が喜ばれないということを知っているので、求めないのかもしれません。
ところでヤコブは、1節で「あなたがたの間の戦いや争い」と書いています。ここにある戦いは教会外でのことではなくて、教会の交わりの中で起こっていたということを伝えています。ですから、今日のこの戒めを独裁的な指導者に届けたいと思うだけでなく、自分へのメッセージなのです。
15節には、キリスト者の行動の基本が明かされています。「主のみこころであれば…。」これは、何を欲するかということだけでなく、すべてにあてはめる姿勢です。