ゼカリヤ書 2章
昨日は、「ネットグループデボーション」に加えていただきました。読み始めたゼカリヤ書1章をいっしょに読んで分かち合いました。分かち合うと分かり合えるということを思いました。それは聖書を分かり合えるということだけでなく、互いを分かり合えるという意味でもあります。緊張と分断の世で、「分かり合える」ことができたらと願いつつ祈っています。
ゼカリヤ書の前半には、まずゼカリヤが見た8つの幻が記されています。ここには三つ目の幻が描かれています。それは、エルサレムを守られる神についての幻です。注目すべきは「エルサレムは…城壁のない町のようになる」という4節のことば。城壁は町を守るためのもの。当地でも古い町を訪ねると城壁に囲まれた中で人々の生活が営まれています。
ゼカリヤの頃のエルサレムは、神殿の再建工事が中断されたままで、町を守っていた城壁も破壊されていて役目を果たしてはいませんでした。捕囚から帰還した人々は心細い思いで生活していたかもしれません。しかし主は、「わたしが それを取り巻く火の城壁となる」と約束しておられるのです。
6−7節は、バビロンに捕囚されていた人々がシオン(エルサレム)へと戻って来る様子が描かれています。シオンがなぜ逃れの場所となるのか城壁もないのに…。それは、主がエルサレムの「ただ中に住み」、町を守っておられるからです。
「主が家を建てるのでなければ 建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ 守る者の見張りはむなしい」という詩篇127篇1節のことばを思います。
ここにある幻はいつ実現するのかを考えてみます。実際のエルサレムを指しているのでしょうか。新約聖書の光に照らしてこの箇所を読むなら、この幻はイエス・キリストによって実現します。さまざまな「城壁」を自分の周りに巡らすのでなく、主が私を、私たちを守ってくださるというのは揺るがない事実なのです。