申命記 33章
この時期、不安や恐れを抱えながら日々を過ごしている人は少なくないと思います。昨日は原発が攻撃されました。
川を渡らずに、この地でいのちを終えようとしているモーセは、ここでイスラエルの子どもたちに祝福のことばを与えています。これまでの数章で彼は、約束の地に入った彼らが神である種に背くという警告のことばを届けてきました。しかしここでは一転して、彼らを祝福します。
神は彼らがこの先何をするのかをご存じであり、神のことばを託されたモーセもそれを知っています。彼らの行く末を懸念しつつ、モーセは祝福して彼らを送り出します。そこには神のみおしえを聞いてそれを守り行うようにとの、熱い思いが伝わってくることばです。私はこの章を声を出して読みました。神の祝福を取り次ぐモーセの思いが響いてきました。
27節の「いにしえよりの神は、住まう家。下には永遠の腕がある」ということばに目が留まります。新共同訳聖書は「いにしえの神は難を避ける場所 とこしえの御腕がそれを支える」と、聖書協会共同訳聖書は「いにしえの神は隠れ家 とこしえの腕が下から支えてくださる」と訳します。
理不尽な攻撃におびえてシェルターに避難しているウクライナの人々を、主が彼らの隠れ家として、ご自身の永遠の腕で守ってくださいとの思いが湧いてきます。