ゼカリヤ書 1章
昨日から、聖書をどのように読み、どのように分かち合うかについてのセミナーが始まりました。すべてオンラインでの集まりなのですが、3週間にわたって同じグループでの取り組みが続きます。私が属しているのは家庭や子どもたちについてのグループ。15名ほどの中に10年近く前にトルコで会った方がいてびっくり。
ゼカリヤ書を読み始めました。「みことばの光」にある「ゼカリヤ書を読む前に」の終わりに、「主の大いなる救いの計画は人の思いをはるかに超えて大きい ー そのことをありのままに示しているのが、このゼカリヤ書である」ということばがあります。人の思いをはるかに超えた神の計画の進展のさなかに、私たちがいるということを意識して読み進めたいと思いました。
初めに「ダレイオス王の第2年、第8の月に…」とあります。時は紀元前520年、イスラエルの民の一部がバビロン捕囚から帰って来たのが538年。そしてその頃の王キュロスの許しを得て、536年にエルサレム神殿の再建工事に着手した彼らは、妨害ゆえに長い間の中断を経てようやく工事を再開します。
再開の契機になったのは二人の預言者によって語られた神のことば。初めはハガイです。彼はダレイオス王の第2年、第6の月、民に「宮を建てよ」との神からのことばを伝えます。さらに第7の月にもハガイは、「仕事に取りかかれ」とのことばを届けます。そしてもう一人の預言者がゼカリヤです。すぐ前のハガイ書とゼカリヤ書を読み比べますと、二人はほぼ同じ時期に、神から民へのことばを取り次いでいたことが分かります。
1章で目に留まるのは、ゼカリヤが何度か主に尋ねていることです。馬を見て尋ね、四つの角を見て尋ねています。8節の「一人の人が赤い馬に乗っていた」ということばに目が留まります。この人が従えるかのように馬に乗った人々が続いているのでしょう。彼らは「地を行き巡るために主が遣わされた者たち」だと御使いはゼカリヤに伝えます。
今地で何が行われているのかを、主はしっかりと見ておられるということに、希望と慰めを持つことができるのだと、ここから考えています。