ヤコブの手紙 1章12−27節
当地からそれほど遠くないところで起こっている戦争ゆえに、私たちの心は常にどこかに不安を抱いています。昨日訪ねてくださった方も、そのようなことを話しておられました。
ヤコブの手紙には、「私の兄弟たち」という呼びかけのことばが、繰り返し登場します。話の節目がこのことばで始まります。そしてこの部分でヤコブは、「私の愛する兄弟たち」と二度呼びかけています。それは試練に直面している信仰者たちへの特別の声がけなのかもしれません。日曜日の礼拝で聴いた詩篇133篇1節を思い起こします。
「見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって ともに生きることは。」
神を信じる者たちは血のつながりを超えて、兄弟と呼び合う結びつきにあります。ヤコブが何度も「私の兄弟たち」と呼びかけることばからは、良い時ばかりでなく、辛い時にも互いは兄弟なのだというメッセージが込められているのだとこの箇所を読んでいます。一緒に神を見上げる者が苦しんでいる時、あるいは罪を犯す誘惑にさらされている時、さらには罪を犯してしまった時に、それでも「私の兄弟」「私の愛する兄弟」と心から思い、呼びかけられるかと問われることばです。
19節の「聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい」ということばは、特に今私が、私たちが心に留めておくことばです。主張すること、それがかなわないならば怒りを表しやすいのが私たち。しかし、ここでは聞けといわれるのです。何を聞くのかというと、ここでは相手の言い分をということ以上に、神のことばを…ということだということが分かります。