申命記 32章1−18節
31章30節に、「モーセはイスラエルの集会全体に聞こえるように……歌のことばを終わりまで唱えた」とあります。120歳のモーセがどのような口調で唱えたのでしょうか。この歌は、主とご自分の民イスラエルの関係が主題です。
まず、主がどのような方かが唱えられています。モーセは、自分のおしえは雨のよう、露のよう、小雨のよう、そして夕立のようだとたとえています。これは、モーセのおしえが絶え間なく語られてきたことです。そして、このおしえの起源がモーセではなく主であることは明らかです。彼は自分のことではなくて、主の御名を告げ知らせます。
5節以降では、一転厳しいことばが語られます。「よこしまで曲がった世代は」という呼びかけは、モーセの歌を聞いている民を指すことばです。5節には「自分の汚れで主との交わりを損なう」と歌われます。この歌は、それを聞く彼らがやがて渡って行くカナンの地で何が起こるのかについての預言です。
7節の「昔の日々を思い出し…」ということばに目が留まります。忘恩の民とならないために、罪を犯さないために、「あなたの父に問え」と言われます。
当地から2000キロ足らずの地で、戦争が行われています。この戦争では、核爆弾の使用をちらつかせると脅す独裁者が一方の当事者です。先日、少年時代に長崎に落とされた原爆の光を目撃したという方が、この時の体験をことばにして語り伝えたいと話しておられました。大切なことでです。ぜひそのことが実現するようにと願っています。二度と繰り返してはならないと、語り続ける必要を今こそ覚えます。
「彼らはあなたに話す。」