みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

多すぎる

2013年07月23日 | 士師記
士師記7章


 参議院選挙は政権与党側の圧勝。「一強多弱時代」ということばが新聞に踊っています。憲法改正が現実味を帯びてきました。与党の新憲法素案を読むと、信仰者として放っておけないことが次々と盛り込まれています。「経済再興」「日本を取り戻す」というコピーの陰で、選挙期間中はほとんど触れられなかったこのことがクローズアップされています。

 圧倒的な数を誇る敵の前に、ギデオンたちはようやくのことで2万2千人を集めたのでしょう。しかし神は、「多すぎる」とおっしゃるのです。「少なすぎる」と言われても仕方がない人数比なのに、「多すぎる」とは興味深い。
 「自分の手で自分を救った」と言って民が神に向かって誇るといけないから…というのが理由です。
 
 絞りに絞って、とうとうギデオン側は300人になりました。「みことばの光」にあるように、450分の一。数の論理でいうなら勝敗は決まったようなもの。しかし、300人には神がついておられるのです。
 
 聖書にはしばしば「万軍の主」ということばが出て来ます。きょうはこのことばを思い起こしました。「万軍の主」とは響きが良いですね。けれども、それを本気で信じているのかを問われます。Dsc06429
 「少なすぎる」といつも思っているのでは…と、心探られました。

 写真は「甲斐姫」という種類の蓮の花。


待とう

2013年07月22日 | 士師記
士師記6章17-40節


 早朝に、「古代蓮の里」に行きました。すでにたくさんのお客様が…。きょうから数日は可憐な花々を紹介します。Dsc06410

 「勇士よ。主があなたといっしょにおられる」と神からの召しを受けたギデオンでしたが、何しろ敵のミデヤン人を恐れて酒ぶねの中で小麦を打っているような人なので、そう簡単には立ち上がりません。何度か主にしるしを求めます。この箇所でのギデオンと主とのやり取りを読んでいると、主の忍耐をおぼえます。それとともに、臆病なギデオンを勇士にするという主の決意のようなものが感じられるのです。

 私だったら、こんなに何度もしるしを、確かな証拠を…、と求められたら「いい加減にしなさい!」と言ってしまうだろうな、と考えます。18節に「あなたが戻って来るまで待とう」とのギデオンへのことばがありますが、「待とう」ということばに、力づけられます。

 先週金曜日にある方と聖書を学びました。何かお聞きになりたいことは…と言いますと、その方は言うのです。「イエスさまの弟子たちって、だめですねぇ。どうして、イエスさまはあんな人たちを選ばれたのでしょうね。」その方がおっしゃる通りだと思いました。けれども、主イエスが弟子たちのことを忍耐して待ってくださったので、弟子たちはやがてイエスが救い主だと人々に正しく力強く宣教するようになります。

 そのままそれは、私のことなのです。


目ざめよ、目ざめよ

2013年07月20日 | 士師記
士師記5章


 この町には、蓮の公園があります。
 今が見頃。蓮の花は朝早く見るのがよいらしく、今朝も蓮の公園行の臨時バスにはたくさんの人が乗っていました。普段は朝寝坊の人も、どこかに出かけるとなるとぱっと目が覚めるのですから、不思議なものですね。

 4章での出来事を受けて、敵を打ち破ったデボラが歌っているのが5章。このような歌は、自分なりのメロディをつけて歌ってみるとよいですね。私も歌いました。ただし、だれも聞いていないところがいいかもしれません。
 
 ここで心に留めたのが「目ざめよ、目ざめよ。デボラ。目ざめよ。目ざめよ。歌声をあげよ」という12節のことばです。「目ざめよ」と声をかけたのは主です。「みことばの光」は、「彼女は…自らの自覚ではなく、何度も激しい神の迫りがあって立ち上がった」と説明します。
 確かに、私たちは霊的にはまどろんでいることが多いので、神からの語りかけがなければ目めざめません。毎日みことばを読むということによって、「目ざめよ、目ざめよ」と神が働きかけることを知るのですね。

    


だれに頼るのか

2013年07月19日 | 士師記
士師記4章


 関わりを持つ障がい者支援施設では、来年3月のオープンをめざしてケアホーム建設の準備をしています。先日、建物の最終的な設計図面をいただきました。図面を見るとそこで生活する7人の笑顔が重なります。楽しみです。

 それと共に心配も…。昨年から材料費が2割ほど上がっているというのです。予定している支出額を越えそうです。さあどうしようか! 
 そのことを、長年の信仰の友が祈祷会で祈ってくださいました。「神さまはこれまでも私たちのために、必要なものを与えてくださいました。ですから、今度も与えてくださると信じて感謝します。」
 神に信頼し切った祈りは、すがすがしくて力強いです。

 バラクは、敵の将軍を打ち取るという栄誉を自分のものにすることができたのに、「もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら行きません」との一言で、逃しました。主がデボラによって、「彼(敵の将軍シセラ」をあなたの手に渡す」と約束したにもかかわらず、バラクはひとりで打ち取る自信がなかったのでしょうか。デボラに同行を願いました。その結果、鉄の戦車900両を擁するカナンの将軍シセラは、女性の手で打ち取られてしまったというのです。

 この天地とそこにあるすべてのものを造ることのできた神のことばを信じて、信頼して事に当たるという姿勢を貫いているだろうか、と問われます。

     


どちらが長いか

2013年07月18日 | 士師記
士師記3章


 辛い時は長く、幸せな時はあっという間に過ぎ去ってしまうと感じるのはどうしてなのだろう、と考えることがあります。「必ずトンネルの出口があるから」と言われても、なかなか先に光が見えてこないと、ずっと出口はないのではないかとも思ってしまう場合があります。突然襲った頭痛に、これまでの平安があっという間に消し飛んでしまうということも…。
 
 士師記はイスラエルの歴史の中での暗黒期だと言われますが、きょうの箇所を読むと、アラムの支配下にあったのが8年、オテニエルによって解放されて穏やかだったのが40年だということに気づきます。さらに、モアブの圧政下にあったのは18年ですが、エフデによって解放されて80年は穏やかであったというのです。
 「良い時期のほうが長いのだ。苦しみや試練がどれほど辛く思えても、必ず主のあわれみの御手が伸ばされている」と「みことばの光」にあります。そのとおりです。

 真っ暗闇の中に放り投げられているようなときにも、主のいつくしみは深く豊かなのです。けれども、なかなかそれに気づかないのが私たちなのですね。

  


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