士師記1章1-21節
日曜日、さすがの猛暑も一段落。夕方には東京方面で雨が降ったためか、南風が涼しさを運んできました。
「みことばの光」では、きょうからしばらくの間「士師記」を読みます。「士師記を読む前に」(2)には、人は過去を美化する傾向にあり、歴史に手を加えて、手柄を針小棒大に書き記し、汚点は抹消しようとする、とありました。しかし、聖書は人の歴史を決して美化したり歪曲しないのです。その点で、士師記はイスラエルの暗黒部をえぐり出していると言えます。それは、「義人はいない。ひとりもいない」という人間についての真理を読む者に突きつけます。
士師記には、ギデオンやエフタ、サムソンなどという「英雄」たちが登場してきます。「英雄」だからといって登場人物を美化してはいません。「どうしてこんな人を神は用いられるのか」との疑念が湧きます。しかし、それはそのまま「どうして私のような者を神は用いられるのか」との自問につながります。
1章前半は、ユダによるカナン南部の政略の様子です。
印象は「まだら模様」。徹底できない弱さがユダの攻略の姿に表れます。
19節の「主がユダとともにおられたので、ユダは山地を占領した。しかし、谷の住民は鉄の戦車を持っていたので、ユダは彼らを追い払わなかった」は彼らの「まだら模様」のわけが、神への信頼の不徹底さにあることを伝えています。
デザイン的には「まだら模様」は素敵ですが、信仰における「まだら模様」はいかがなものでしょう。
日曜日、さすがの猛暑も一段落。夕方には東京方面で雨が降ったためか、南風が涼しさを運んできました。
「みことばの光」では、きょうからしばらくの間「士師記」を読みます。「士師記を読む前に」(2)には、人は過去を美化する傾向にあり、歴史に手を加えて、手柄を針小棒大に書き記し、汚点は抹消しようとする、とありました。しかし、聖書は人の歴史を決して美化したり歪曲しないのです。その点で、士師記はイスラエルの暗黒部をえぐり出していると言えます。それは、「義人はいない。ひとりもいない」という人間についての真理を読む者に突きつけます。
士師記には、ギデオンやエフタ、サムソンなどという「英雄」たちが登場してきます。「英雄」だからといって登場人物を美化してはいません。「どうしてこんな人を神は用いられるのか」との疑念が湧きます。しかし、それはそのまま「どうして私のような者を神は用いられるのか」との自問につながります。
1章前半は、ユダによるカナン南部の政略の様子です。
印象は「まだら模様」。徹底できない弱さがユダの攻略の姿に表れます。
19節の「主がユダとともにおられたので、ユダは山地を占領した。しかし、谷の住民は鉄の戦車を持っていたので、ユダは彼らを追い払わなかった」は彼らの「まだら模様」のわけが、神への信頼の不徹底さにあることを伝えています。
デザイン的には「まだら模様」は素敵ですが、信仰における「まだら模様」はいかがなものでしょう。