詩篇29篇
きのう「みことばの光」10月号の編集を終えての帰路、電車の行く手には黒雲が。最寄り駅を降りると、稲光と大きな雷鳴の響き。大雨が通り過ぎたすぐあとでした。
今はそれほどでもなくなりましたが、雷が苦手。子どもの頃は雷が鳴ると押し入れの中に隠れていました。ちょっと大げさかもしれませんが、ピカッと光ったすぐあとにドシーンと地を揺るがすような音が聞こえると、もうこわくてこわくて…。
詩篇29篇は「嵐の詩篇」と呼ばれています。
人はさまざまな出来事の中に、神を認めると言われますが、ここでダビデは激しい音を立てる雷鳴の響き、また樹木を引き裂く落雷に神の声を重ねています。
3-9節では「主の声は…」と繰り返されています。
「水の上」「大水の上」とは「天の雨雲の上」という意味でしょうか。
「杉の木」「レバノンの杉の木」は、偉大さや力や高さを象徴し、「シルヨン」はヘルモン山を指していると言われます。ところが「主の声」はこれらを軽々と揺さぶるのです。「カデシュの荒野」はカナンの南部です。
雷鳴はカナンを北から南まで貫き通して、地を揺り動かします。オーケストラが奏でる、ティンパニーとシンバルが鳴り響く箇所を連想してしまいます。
今日も暑い日のようです。「ああ暑いな」「いやになっちゃう」というつぶやきの先に、あるいは夕立の激しい雨音の向こうに、みことばによって語ってくださる主を覚えられますように。
きのう「みことばの光」10月号の編集を終えての帰路、電車の行く手には黒雲が。最寄り駅を降りると、稲光と大きな雷鳴の響き。大雨が通り過ぎたすぐあとでした。
今はそれほどでもなくなりましたが、雷が苦手。子どもの頃は雷が鳴ると押し入れの中に隠れていました。ちょっと大げさかもしれませんが、ピカッと光ったすぐあとにドシーンと地を揺るがすような音が聞こえると、もうこわくてこわくて…。
詩篇29篇は「嵐の詩篇」と呼ばれています。
人はさまざまな出来事の中に、神を認めると言われますが、ここでダビデは激しい音を立てる雷鳴の響き、また樹木を引き裂く落雷に神の声を重ねています。
3-9節では「主の声は…」と繰り返されています。
「水の上」「大水の上」とは「天の雨雲の上」という意味でしょうか。
「杉の木」「レバノンの杉の木」は、偉大さや力や高さを象徴し、「シルヨン」はヘルモン山を指していると言われます。ところが「主の声」はこれらを軽々と揺さぶるのです。「カデシュの荒野」はカナンの南部です。
雷鳴はカナンを北から南まで貫き通して、地を揺り動かします。オーケストラが奏でる、ティンパニーとシンバルが鳴り響く箇所を連想してしまいます。
今日も暑い日のようです。「ああ暑いな」「いやになっちゃう」というつぶやきの先に、あるいは夕立の激しい雨音の向こうに、みことばによって語ってくださる主を覚えられますように。