みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ほかの世代が

2013年07月17日 | 士師記
士師記2章

 
 月に一度の「ローマ人への手紙」を読む会が昨日ありました。もうどのくらいになるでしょうか。ゆっくりゆっくり読み進めてきまして、昨日は14章を終えました。お茶の時間に時々、ずっと続いている銘菓をいただくことがあります。食べ物にしても、道具類にしても、わざを継承するという努力があって同じ品質、技術が今まで伝えられていくのです。

 2章10節の「…主がイスラエルのためになされたわざも知らないほかの世代が起こった」ということばに目を留めました。ヨシュアの死後、また同世代の人々の死後の人々は、神が自分たちのためにどれほどのことをしてくださったのかを、体験としてではなくて知識として聞かされてきました。

 祖父や父は子どもや孫に主のみわざをことあるごとに言って聞かせたことでしょう。しかし、次の世代の人々にとって、紅海の水が分かれたことも、雪解けのヨルダン川の水が両側に突っ立つ中を歩いて渡ったことも、川の中から取ってきた記念の石を見せられても、今ひとつピンとこなかった…。「みことばの光」が書くように「単なる物語としか聞いていなかった」のかもしれません。

 過去に父祖たちが、それこそ血を流すような体験をして勝ち取った権利やわざを、物語のようにしか聞いていない、実感の伴わない次の世代が簡単に捨て去ってしまうようなことが今の日本にもあるのではないか、と自戒するものです。

    


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