みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神が示す地に

2013年07月01日 | ヨシュア記
ヨシュア記19章1-23節


 7月を迎えました。
 昨日は、礼拝の後で5月に結婚した若いカップルのお家を初訪問。新しい貸家の一軒家はすべてが初々しくまぶしかったです。おいしいビーフ・シチューのお昼をいただきました。ごちそうさま。
 土曜日の朝に電話をいただき、教会に通っている方のお母さんがお亡くなりになったとのことでした。
 金曜日には生まれて3週間の赤ちゃんを訪ねました。静かでお母さん思いの男の赤ちゃんだそうです。
 誕生、結婚、死亡という人生の大きな出来事に触れさせていただいた週末でした。

 ヨシュア記19章前半には、相続地が割り当てられていなかった7つの部族のうちの、シメオン、ゼブルン、イッサカル部族への割り当てのことがあります。先にも書きましたが、このあたりは地名や町の名前が出てきますので、どのように読んだらよいのか戸惑う箇所です。

 イスラエルへの割り当てはくじを引いてなされました。くじというと当たりとか外れとかを連想しますが、旧約聖書では、人の意志や思いを超えた神の意志を見いだすために行われました。
 7つの部族への割り当て地の分割では、ヨシュアはまず部族ごとに三人を選抜させ、調査させ書き記させました。地図を作成したという解釈もあるようです。それを七つの割り当て地に分割し、それを各部族がくじを引いて自分たちの割り当て地を当てるということになっていました。
 そこには、「ここが良い」とか「あそこはいやだ」というような思いが働く余地がありません。彼らは自分たちが引いて当てた地を、神のみこころをして受け入れて、そこに住むのです。

 これは、私たちの人生、生活にも当てはまることではないかと思うのです。ときには自分で思っても見ないようなことをつかませられます。自分の好き嫌いが入り込む余地がありません。けれども、そのようなことに神の御手(みて)を見ることができるのではないでしょうか。
    


2011-2024 © Hiroshi Yabuki