みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

そむきの罪

2011年03月21日 | アモス書
アモス書2章

 主の平安をお祈りいたします。

 日曜日はどのようにお過ごしになりましたか。私が通う教会では暖房を停め必要最小限の照明で礼拝を捧げました。普段は原発のすぐ近くの教会に通っておられるご夫妻が参加しておられました。
 礼拝の献金は被災地救援のためにと捧げられ、礼拝後、呼びかけで集められた支援物資の箱詰めをみんなでしました。水曜日に被災地に届けられます。

 「みことばの光」では、昨日からアモス書を読んでいます。礼拝では1、2章の「そむきの罪」と言うことばの意味を考えました。
「そむきの罪」と訳されていることばには、財産や個人の権利を侵すという意味があります。
他の国の権利を侵し、裏切る、そして弱い人を踏みにじるなどということを、ここに出てくる7つの国は神から責められているのです。

 宮城県大崎市に住む義妹から、先週金曜日に次のようなメールが送られてきました。
「お願いがあります。停電も昨日の朝一週間ぶりに解消しました。しかし食べる物がありません。今日も数時間列んでも買えたのはお茶漬けの元数袋だけです。こちらはお米とか知人が多少差し入れしてくれますが沿岸部の方々は困っています。首都圏では買いだめしている人がいるようですが知人とか教会にいらっしゃる方々に冷静になり被災者に少しでも分けてあげられるよう伝えてください。お願いします。」

 私たちが万が一のためにと買い溜めをすることで、被災地に食べ物が届かないのだとしたら、そしてそこに住む方が買い物に行って数時間並んでも、お茶漬けの元だけしか買えないことの原因のひとつになっているのだとしたら、それは「そむきの罪」を神さまの前に、そして私たちが会ったことのないだれかに対して犯していることにはならないのだろうか、と自らに問いました。




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