みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

途方に暮れる

2024年06月11日 | ガラテヤ人への手紙

ガラテヤ人への手紙 4章1−20節

 月曜日午後、予約をしていた眼科で検査。懸念されていたことではなく安堵しました。今回は通訳のお手伝いをしていただき、とても心強く余裕をもって受診できました。ありがとうございます。

 人は、ユダヤ人であろうと異邦人であろうと、律法を行うことによってはなく、福音を信じることによって神の義をいただくことができることを、パウロは自分自身が体験したことから、ガラテヤ人たちが体験したことから、そして旧約聖書から論証してきました。

 そして、3章後半でパウロは、律法が私たちをキリストの導く養育係にたとえました。私が言うのもなんですが、「養育係」とは見事なたとえだと思います。養育係というと優しい印象を持つかもしれませんが、実際はそうではありませんでした。厳しく子弟を教えたのだそうです。しかし、その厳しさが神の子どもとされるべき人々を、福音へと追いやったとも言えるのです。

 4章前半でパウロは、福音を信じて聖霊によって神の子どもとされた者たちに神が約束された素晴らしい特権を思い起こさせます。そんなにも素晴らしい特権を賜わったのに、なぜそんなにも簡単に養育係のところに戻ろうとするのかと、パウロはここでも嘆くのです。

 20節の「あなたがたのことで私は途方に暮れています」とあります。ガラテヤの人々に、すでにパウロは1章6節で「驚いています」と書き、3章1節では「愚かなガラテヤ人」と嘆いています。それは、福音を信じてせっかく神の子どもとしての立場を得た彼らが、それを捨てようとしているのを心から嘆いているのです。ここにはパウロの、ガラテヤの人々への愛が込められています。

 パウロは今、私たちにどんなことばをかけるのでしょう。


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