使徒の働き 2章14−21節
4月ですが、一足早く「五月晴れ」のような陽気が続きます。新緑がまぶしい一日でした。歩いていると旧知のさまざまな人との出会いがあります。孫が通っている小学校に赴任した新卒の先生は、私たちが携わった幼稚園の卒園児。きのうはさらに、別の卒園児のお母さんともばったり会い、しばし近況を分かち合いました。
この箇所は、ペテロが最初に福音を宣べ伝える場面です。聖霊がいっしょに集まっていた人々に臨まれたのは、大きな響きをとどろかせたり、炎のような別れた舌がとどまるという不思議を見せたり、さまざまな国のことばで神をほめたたえたりするということが目的ではないことが、ここから分かります。
不思議に思い、いぶかしさを覚えて集まって来た人々に、イエスの福音を宣べ伝えるためでした。
何度も読む箇所ですが、今回私がここから考えたのは、ペテロの確信に満ちた説教はどこから来るのか、ということです。権力者たちはペテロたちのことを「無学な普通の人であるのを知って驚いた」と4章13節にあります。その彼らが高名なラビ(教師)に学んだのではなかったにもかかわらず、大胆かつ明快に聖書を説き明かしてナザレのイエスこそキリスト(メシア)であると語っているのです。いや、ペテロたちは最高の教師であるイエスの元で学び続けてきたのです。
主イエスは天に昇る前に弟子たちに、聖霊が臨む時に力を受けると約束されました。「力」というと、福音を伝えるための勇気、突進力のようなものを連想してしまうのですが、そればかりでなく、聖書を正しく理解し、それを解き明かすという知恵も含まれるのだ、ということでもあるのですね。