使徒の働き 2章22−36節
肩の治療のために接骨院に通院して三日経ちました。およそ30分ほどなのですが、まずは電気で刺激を加え、そのあとマッサージ、最後に腕を上げるための滑車使いで終りです。損傷した筋肉の代わりに、小さな筋肉が肩を支えているので悲鳴を上げているとの説明に、なるほどと…。「代替機能」とはよく言ったものです。
ペテロの最初の福音宣教は佳境に。「みことばの光」には、骨子を9つに分けています。私は、36節の「神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです」ということばが中心ではないかと考えました。
よく考えてみると、このことばは大胆であり、語るのに勇気がいります。聞いている人々に「あなたがたはメシアを殺した」と言うのですから…。福音は自分が罪人であることを受け入れるから福音なのです。このことを伝えなければ、その人にとっての真の福音とはなりえません。
ペテロは「あなたがたは十字架につけた」と語っています。しかし、彼は高い所から人々を断罪しているのではありません。「私は神の心にかなうことを行なってきた、ところがあなたがたは…」と語ってはいません。このように語る時、ペテロの心には自分がどれほどの罪人であるかについて心を探られながら語ったのではないだろうかと想像します。
ですから、彼はここで、「私たちは十字架につけたのです」と心の中では語っているのではないだろうかと考えます。