使徒の働き 3章11−26節
気持ちの良い天候が続きますが、風は冷たく、きょうの最低気温は3月頃のものだと予報されていました。スーパーに行くと、ここならではの食べ物が野菜のコーナーにありました。「焼き芋」です。昔は焼き芋やさんが通りを歩きながら焼き芋を売っていましたが、今は甘くてほくほくの焼き芋をスーパーで買うことができます。
「美しの門」で生まれ月足の不自由な人がいやされたという出来事は大勢の人々を集めました。ペテロは予め計画していたのではなかったのですが、集まった人々にイエスの福音を語ったのです。きょうの「みことばの光」はペテロの宣教を分かりやすくまとめていますので、ご参照ください。
「このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました」という16節を心に留めました。「みことばの光」はこのことを取り上げて、「焦点を自分から神に移す」という見出しをつけています。人の目には、癒やしを行なったのはペテロとヨハネと見えます。しかしペテロは、宣教の初めに私ではなくて、イエスなのだと言って、人々の焦点をイエスに向けさせています。
昔も今も、社会は良くも悪くも人に焦点を当て、その中に歩む私たちは、自分がどのように評価されるかということに心が向きやすいものです。ペテロやヨハネにとって、自分たちが奇跡を行なったのですから、自分に人々の目を向けさせ、ヒーローとなるチャンスが訪れたということになります。けれども彼らは、そのような道をたどることはしません。
焦点をイエスに、神に当てようと生きる、かっこいいですが、簡単なことではないと思います。