詩篇 96篇
家のリフォームも大詰め。当たり前ですが、小さなリフォームにもいろいろな人が携わっているということを思います。それぞれは自分の役割を、たとえば塗装屋さんはドア回りと幅木を塗るのですが、それが終わらないと壁紙が更新できません。ですから、それぞれの手順を調整する人が大切になるのだと、改めて教えられます。いわゆる「段取り」の大切さですね。
本篇は「新しい歌を主に歌え」ということばに始まります。同じ始まりかたは、33篇(2節に)、そして98篇です。この場合の「新しい」とは、いわゆる「新曲」ということではなく、きょうの「みことばの光」が書くように、昔イスラエルの民に素晴らしいみわざを行なわれたように、私にも素晴らしいことをしてくださったという喜びから出てくる賛美、という意味です。
神の恵みとあわれみは、過去の出来事ではなくて毎日のこと。ですから、神の子どもとされた人々は、新しい歌を歌い続けていくのです。「昔は良かった、でも今はそれほどでも…」ということでは決してなく、「神は昔、私に良いことをしてくださった、そして今もなお…」ということでしょう。
そうであるならば、私たちはいつも新しい歌を主に歌うことができるのです。何度も本篇を読み直して気づいたのは、「新しい歌を主に歌え」という呼びかけは、広がりを持っているということです。「日から日へと 御救いの良い知らせを告げよ」と2節にあります。
そのように考えるならば、この詩篇96篇は宣教の思いがほとばしり出る詩だということができます。