みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

時至らず

2018年08月13日 | マルコの福音書

マルコの福音書 12章1−12節

 「何の権威によって」とイエスに迫ったエルサレムの宗教的、社会的な指導者たちがイエスの問いかけに「分かりません」と答えたことは11章最後の節に書いてあります。それを聞いたイエスは、「何の権威によって…」との彼らの詰問に答えなかったのです。

 けれども、イエスはエルサレムの指導者たちを無視したということではありません。一つのたとえによって、彼らの罪がどのようなものかを明らかにしようとしておられたのです。

 イエスはたとえを用いておられます。この福音書で最後のたとえであり、ぶどう園の主人を神に、農夫をイスラエルの人々、特にここでは指導者たちにたとえ、主人が遣わしたしもべたちとは旧約聖書の預言者たち、そして主人の愛する息子とはイエスを指しています。

 それにしても、農夫たちはひどいことをするものです。しもべたちを打ったり殺したりした挙げ句、主人が遣わした愛する息子をさえ殺してしまうのです。これは、イエスが十字架にかかられることについての預言です。そのために、主人は農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人たちに与えるだろうとイエスはたとえを終えます。

 権威について「分かりません」と答えた指導者たちは、「このたとえが自分たちを指して語られたことに気づき」ました。ここからも、「分かりません」とは本当に彼らがわからなかったのではないのだと、気づかされます。ここでもイエスへの殺意がもたげますが、群衆を恐れて実行できません。定められたイエスの時があるからです。

 「私の時は御手の中にあります」という、詩篇31篇14節のことばを思いました。


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